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  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 11 nov. 2021
  • 10 min de lecture

Dernière mise à jour : 6 janv. 2022


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定期的に Facebook などでつぶやいていたので(悪態ついていたと言う方が正しいと思うが... )、夏からちまちまと通い続けていた、計 4 回に渡るフランス共和国統合研修(通称・移民研修)が無事終わりました。肝心の滞在許可証がもらえるのは、いつなのかまだ全然分かりませんが.......


初回はパリの南、モンルージュにある会場へ集められて、マクロン大統領が腕を組んで誇らしげに写っているあのポートレートが飾られた部屋へ入れられると、まるでジム帰りのようなラフな格好の男性職員から説明を受けて、いきなりフランス語のテストが開始。


「前の職場の同僚から来たメールへ返信せよ」という作文もあり、私は夏に転職したばかりで、転職先が全員 20 代の新卒もしくは 30 代前半で Z 世代の洗礼を毎日受けている夫をインスピレーションにして、書かせてもらったよ。「なかなか馴染めないけど、楽しくやってるよ」とか書いた。当の夫は初日を終えると、青い顔して「もう俺らはシニアなんだ...」とも言っていた😂


フランスはテストの際、20 点満点のことが多いが、こちらのテストもなんとか 20 点満点で、ほっ。これにより、語学研修は免除され、別室で個人面談を受ける。


ここでフランス語が十分でないと判断された者は、数 100 時間に渡る語学研修を受けなくてはならないらしい。ある意味親切な国でよかったというか、執拗というか...w


個人面談の後は、健康診断。優しい国である。この時、上半身のレントゲンも撮られたんだけど、昔からだいたいフランスではガウンを着せられることなく、個室の中で裸で待たされますw


病歴などもお話しして、なんと無料で B 型肝炎や HIV のテストなども受けることができた。ありがとう、おフランス。




初日が終わると、次は最寄りの県庁へ送られて、計 4 日間の市民研修を受けなくてはならない。"市民" 研修って、名前が...!日本って、ある意味フランスよりよっぽど民度高い国だけど... ある意味差別なく、みんな平等である。しかしこれがきつかった!


まずは、一般教養の簡単なテストである。なんと一問目が、




「カマンベールチーズは、どの地方で作られていますか?」


・ノルマンディー

・ブルターニュ

・イル=ド=フランス(パリ近郊)




だったんだからー!!😂


それ、そんなに重要か...?真顔で回答言う講師も、笑いたくならないのだろうか。私はこの設問を目にした時、マジで吹き出したけど...

ちなみに第三問がこちら。



「フランスのサッカーチームが W 杯で優勝した回数は?」


・0

・1

・2




それ、そんなに重要...?(二回目)


この問題作った人、サッカー好きなの?w 私は、サッカーのことになると血がほとばしる夫と暮らしているのだよ...




かなり脱力した後、フランスの地理、面積から始まって、フランス革命や宗教分離、EU での位置付け、市町村の数などについてしっかり勉強させられると、久しぶりに高校の世界史の授業を受けているような気になった。決して世界史は嫌いではなかったので、苦痛ではなかったけど、本当久しぶりに「ナントの勅令」とか、「ロベスピーエル」って名前とか聞いたよね。ロベスピエールくんは、当時上から 2 番目の高貴な身分だったのに、「一般市民ばかり血税を払うのはおかしい!」と叫んで、身分による差別を正そうと革命を起こそうとするも虚しく、断頭台の泡と消えた人である。なんと可哀想な...



「いい国作ろう鎌倉幕府」的に、フランス人なら誰でも知っているマリニャーノの戦いは 1515 年で、夫は、「もしメトロの中で "マリニャーノ!"と叫んだら、絶対車内にいる誰か一人は「キャンズソンキャーンズ!(1515 年!)」とすぐに反応して叫ぶだろう」と言っていた😂 残念ながら、これは授業では習わなかった。



他に私が誇る、マニアックなフランス史実として、モリエール先生の本名を知っているであります。ふふん。


その名も、「ジャン=バチスト・ポクラン」!!なんとモリエールは、stage name だったのだ😂 ていうか、ポクランって... 時々フランスには、気が抜けてしまうようなかわいい苗字がありますです。「シャポタン」という苗字の友達もいる。かわい過ぎる。



日本の高校で習うようなことをここにいちいち羅列してはキリがないので、今回の移民研修で新たに知り、ほほう〜と思ったことを書いておこうと思う。



  • フランスで就学している子の親がフランス語ができない場合、子の学校に連絡して、語学研修を受けることができる。


  • フランスでの女性の参政権は、戦後の 1945 年に成立した。意外と最近である。その後、1965 年になって、やっと女性の働く権利及び銀行口座開設が認められることに。1970 年には、母親でも学校でもらう子どもの公的書類などにサインできるようになった。


今は女性周りの法制度が整ってそうに見えるフランスでも、いろいろな運動や声を上げる人がいて、紆余曲折を経て、今に至るのである。エモい。特に、2017 年に亡くなったシモーヌ・ヴェイユだ。彼女はユダヤ系の家に生まれたため、16 歳の時にナチスの強制収容所へ送られ、なんとか生き延びてパリに帰ると、政治学院へ進み、政治家となった。大の親日家だった、日本人にはお馴染みのシラク内閣の際に厚生大臣となり、 1975 年に女性に中絶可の自由を与えた人であり、女性初の欧州議会議長も務めた人である。死後の 1 年後にはパンテオン入りが決定し、メトロの駅では、彼女の名を付けるものも出来て、一時ブームが起きたのは記憶に新しい。


パリの地下鉄の駅名になったシモーヌ・ヴェイユ

没後1年の「大ブーム」の陰に、大揺れの EU の救世主になってほしいという願望



まだ少し続けます。


  • フルタイムの CDI(正社員契約)のみ、紙の契約書がなく、口頭でのやり取りでもよい。なぜなら、給与明細があるので契約を証明でき、守られているので。


これは、昔の同僚(ちなみにイギリス人で、70 年代にフランスへ来た人 )で、彼女は管理職だったけど、ふとした会話で


「私?契約書持ってないわよ、でも大丈夫。給与明細があるから☆」


と言っていたのを聞いたことがあったので、『あれは本当だったのかー!!』と驚いた。学業を終えてから、一番最初の職に就くのが難しく、慢性的に失業率が高いフランスでは、誰もが羨む CDI(正社員)契約であるが、まさかフルタイムだと、口頭でもいいなんて...!目から鱗である。でもやっぱり、PDF でいいから、ちゃんと書かれたものを持って安心したいものである。


その他、知ったことと言えば...


  • 4 本指を見せるサインは、「暴力を受けているが事情により助けてと言えない人」のサイン。すぐにしかるべき場所へ電話をすること。


  • 女児への割礼は禁止されており、もし行った場合、法律により罰される。バカンス中などに、海外へ送って実行してもらうことも禁止。


  • 現在フランスでは、どんな仕事でも性別に関係なく就業することができる。


学校でのライシテ(無宗教性)についても、かなり詳しく教わった。


  • フランスでは、親が子に対して特定の宗教についてバイアスを与えてはならない。

  • 学校では、どんな宗教的なモチーフも身につけてはいけない。(公務員も同様)


  • フランス国旗は必ず左から青、白、赤の三色の順番で、白は貴族制を表す。(なんで残したんだー。王政を倒したかったから革命起こしたんじゃないんかーい✋)


  • フランスの基本理念は、有名な「自由、平等、博愛」だけど、この「博愛」という言葉の意味は、「皆、同じ人間だからいたわる。病院でも受け入れて、診察する。それは人種に関係なく、ビザなしの人でも診察する。外国人だからといって、フランス国土内で決して死なせない」だと、講師が言っていた。(PASS という、公立病院での医療費が無料になるシステムもあるそうだ)


  • 個人の「自由」は、他者のそれが始まるところで終わりとなる。


と、細かく言い出すとまだまだあるけど、ざっとこんなところだろうか。


これらの知識を得て、(小声でしか言えないけど)私はちょっと、またさらにフランスのことが好きになる思い。子ども部屋の壁の工事は、依然解決していませんがw




という感じで、これでもかと言うほど、3 日間みっちりとフランス史や社会倫理について勉強した。真面目な私はきちんとノートも取った。そして最終日の最後、講師の言葉に愕然とした。なぜなら、


「最終日は、皆さん、どれか選んでもらいます。えーと、①フランスでの仕事探しをお手伝いするワークショップ、②パリの美術館やロワールの古城を巡るバーチャルツアー、③手に仕事を付けるべく、クロワッサンやパンオショコラ作り、のどれかです。」


は?


今、クロワッサンって言った...?😂


そして彼女は毅然と続けたのだ。「どれも、日程も残数も決まっています〜。ちなみに仕事探しは、もう全て予約で埋まりましたので、どちらか 2 つから選んでください。」



これを聞いて、フランスでの職探しを手伝ってもらいたがっていたアフリカ勢は怒り心頭。「ケーキ作るために来たんじゃねぇ!」、そんな声も聞こえてきた。もっともである。そして検索の会社を辞めて翌週からすぐに元のフリーランスへと戻り、おかげさまで働いている私にとって、クロワッサンを作るために 11 月の 1 営業日を失うのは余りにも痛い。痛過ぎる...(いろんな意味で)



アートが大好きなので、バーチャルツアーにしようかと思ったけど、ロワールの古城巡りももうオフラインでしたことあるしで、本当に面倒くさかったが、なんとクロワッサン作りに行ってきた...。それが昨日のこと。



しかも朝 8:45 に、ここよりちょっと治安の悪い隣町へ招集させられて、窓が開きっぱなしで暖房のない寒いキッチン、しかも全員分の椅子がなく、三人妊婦がいたので、私含めて 9 人はほぼ一日中立ちっ放し、椅子はそのうち 2 脚壊れている... という、決してよろしくない環境の中、外国人ばかり 20 人が集められて、ダウンとかコートを着たまま(!)、なぜか予定とは違うサブレとチョコレートを作ったのである😂 パンがよかったよ!


下の写真で、私たちが必死になって作ったサブレ(夫によると小学生レベル)をご覧ください。タメ口でギリギリのジョークを飛ばす講師のおっちゃんは、「これはメディチ家から伝わったレシピで云々」と誇らしげに言っていた。肝心の味の方は、なんと "味がないという味" でした。驚愕...


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私たちのチームの目の前では、マリ人の男性とインド人男性、バングラデシュ男性のチームがいたのだけど、インドかバングラデシュの男性のどちらかがプロのパティシエらしく、それはもう素晴らしい動きに、作業が終わるときっちりと布巾で掃除をして... 対岸から感動したね😂


ちなみに私のチームは、カメルーン人の男の子にエチオピア人の女性、それからコートジボワールの女性からなる混合チームでした。フランス語が母国語のアフリカ人はいいよねぇ。アフリカ人は本当に明るくて、もちろん中には無口で寡黙なタイプの人もいたけど(当たり前である)、隙あらば冗談言って、笑っていて、本当に陽気だと思った☺️


このカメルーン人の男の子(フランスに来たばっか、まだ 20 代)に、しつこく「寿司を作ってくれ。家に呼んでくれ」と言われたのだけど、『君、私が "37 歳 既婚 子持ち"って、分かってないだろ...』と叫んでやりたかったのを書いておく。





話は戻るが... 先の市民研修中、部屋の中には数人のアフガニスタン人と、パシュトゥール語の通訳がいた。時期が時期なので、彼らがこうして無事フランスへ来ることができてよかったと人ごとながら心から思うし、どうかこれから彼らがフランスで暮らす生活が、安泰で、幸せなものになりますようにと願わずにいられない。


通訳の男性が、研修の一番最後にした質問と、女性講師の返答が忘れられない。


「マダム、低所得者住宅は、紹介されてから何度断ることができますか?」。どうやら、パリ近郊にないので住みたくないらしいのだ。講師は、


「仕事はしてるの?通勤に不便だから断りたいというわけ?もしそうでなければ、絶対に断っては駄目。仕事に関する理由じゃないと、新しいものはもう紹介してくれないわよ。絶対に受けて。そうじゃないと、路上で暮らすことになるわ。こないだまさにそういうケースがあって、慈善団体に電話したところなの」


これを聞いて、私は不安と恐怖で唖然としてしまった。せっかくこうして戦争のない国、一応は豊かで生活していける国・フランスへ入っているのに、路上生活になってしまうとは... 博愛の国じゃないんかい。とも思うが、まずはよっぽど治安の悪いエリアでなければ、そこに住む方が正解のように思える。仕事の目処が立てば、いくらでも住み替えていけるのだから。


と同時に、自分がどれだけ恵まれた環境にいるのか、思い知らされた。



アフガニスタンについては、夏に激化してからかなり心を痛めていて、ユニセフを通じてアフガニスタン女性のために募金しよう、しようと思い続けては、忙しさにかまけて置き去りになっている... 早くしなければ。




屋根(家)があり、家族もいて、幸い仕事もあり、私はフランスで自分の居場所を見つけた。"ホーム" と呼ぶには辛いことも、理解できないこともある。けれど、これはこれでとても幸せなことなのだ、感謝して過ごさなければならない。そのことを忘れずにいたいと思う。


呆れたり、脱力したり、憤ったり... いろいろな感情がよりめき動いた移民研修だったけど、しばらくはまた再び、この地で外国人として生きていく。



 
 
 
  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 30 oct. 2021
  • 10 min de lecture

Dernière mise à jour : 6 janv. 2022


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早いもので、フランスに帰ってきてから半年が経った。約 2 年もの間会えなかった家族、友達に再会できたのは素晴らしく、パリは相変わらず汚くも美しく(笑)、楽しいこと、いいこともいっぱいあるのだけど、誰にも気を遣わないでいいとしたら、これだけは言わせてくれ...。


正直、トラブルだらけで、フランス生活に再度適応するのが大変だぜ!私も夫も😂



夫は昔、日本に対してこのようなことを言っていた。「日本はちょっと、、なんか完璧過ぎて。フランスに比べてカオス度が足りない」。それが、2 年東京に住んだらどれだけ自分の国がちょっとカオティックがやっと分かったらしく、顔面蒼白しながら時々「ここは本当の国じゃない....... なんて国だ!終わってる!問題の方が多い!!」などと叫ぶようになったので、横で見ていて本当に面白い。やっと気づいたの?と。ここ、あなたの生まれ育った国ですけど...。カオス度が足りないって、昔言ってなかったか?と。



例えば、家から歩いて駅に行き、電車に乗ってパリへ行くだけの道中でも、最低 5 つはイラっとすることがある(笑)。きちんとマスクを付けない人々を目撃する(鼻まで隠してくれやー)、だらしのない格好でこちらを睨みつけてくる人に出くわす、割と混んだ車内で、通路に立ちはだかり通してくれない人にぶち当たる、ただ歩いて乗り換えに行きたいだけなのに、ぶつかってくる人・からんでくる人、歩きスマホに夢中で、自分の背後がどれだけ詰まっているか気にも留めない人、などなど.....。言い出すとキリがない!!



夫はこうも言っていた。「東京では、電車に乗ってぼーっとポッドキャストでも聞いていれば、必ず目的地に着いたからよかったなぁ」と。最初これを聞いた時は「何言ってんの、この人w」と思ったものだが、今ではその理由がよく分かる。フランスでは、駅に行くと時々全然電車がないか、それもなんでないのか理由さえ誰も分かっていないことがザラにある。そして目的地までの道、通るエスカレーターの 1 つは必ず壊れているし😂、なんなら次の日もまだ壊れているし、駅の案内掲示板が全部ついて、機能していることも稀だ。目的地まで辿り着くのが、こんなにも難しいこととは...😂



しかし、これだけ問題が多いと、不思議と他者に寛容になれるもので、多少の遅刻は許し、許されたりと、他人の落ち度に怒らない、大きな気持ちになれる、と言うこともできる。ポジティブ、ポジティブ。



あと、現在進行中の問題としてはですね。5 月に自宅へ戻って、また住み始めてからというもの、子ども部屋の壁が青ずみ、なんかおかしかった。完全に嫌な予感しかしない。この壁の向こうは外と、隣の家のキッチンがあるはず。キッチン=水回りである。まさか... そう思って、取り急ぎ建物の管理組合やら保険会社に連絡してみると、保険会社から派遣された調査員のおじさんは、アパートの屋根まで登り、原因を突き止めてくれた。それは...



私たちの子ども部屋がある外壁の位置に、ちょうど雨水を排水する受け皿のようなパーツが付いているらしいのだけど、そこを屋根から見ると、なぜか中が詰まっていて、横へ走るパイプへきちんと排水がされず、溜まった雨水や水分が、中の壁をつたって入り、内側からカビが発生している、ということだった。簡単に書いただけでもどれだけタチの悪く、最悪な問題かお分かりいただけるだろうか。どおりで被害に遭っているのがうちの壁だけだったはずである(隣と真上の部屋を見せてもらいに行った)。しかも、春先はけっこうな大雨が降る嵐が何度かあったりしたので、その度に水分は、壁の中へと入っていったのである...



まぁ最初にこの異常な状態に気づいてから、さすがにこの空間の中で大事な子を寝かせるわけにいかなかったので、速攻私たちの部屋に子のベッドを動かし、対応していたのだけど、そうこうしていたら保険会社が「まずは壁を乾かさないと、ペンキも塗れません」と教えてくれて、なんと我が家には、壁を乾かし、湿気を吸い込むための、巨大乾燥機が送られてきた。



これは、大きくて四角い機械で、幸い、音はそんなにうるさくはないのだけど、四六時中付けっ放しにして湿度を吸い込むため、この間の電気代は保険会社がちゃんと返金してくれるそうである。ほっ。そして時々、中のタンクを抜いて、吸い込まれた水分を捨てて、再度設置し、稼働させておかなくてはならない。その作業を始めて、早数ヶ月... 途中何度も、経過確認のため調査員のおじさんが見に来てくれているのだけど(昨日もいきなりやって来た。訳が分からない)、毎回、「うーん、まだまだだね、あと 25 パーセント」と、終わりの見えない状態である。しかも、巨大乾燥機はエレベーターに入らなかったので、男性二人で階段を通ってここ 4 階まで運んできてくれたそうである。若干共用部分というセンシティブな部分、階段周りの壁に、無理やり押し込んだのだろう、傷がついているけど。。まぁいい。下で受け取って、「あとは自分でお願いします☆」と言われなかっただけ、有難いのだから。



というわけで、もう何ヶ月も、部屋が 1,5 個足りない状態で生活しているので、大人はリビングのソファベッドで寝ているし、そのすぐ横に子どものベッドも持ってきているしで、まったく美しくない、片付いていない!簡単にいうとかなりディザスターな状態で生活しているので、マインドにもよろしくない。ということで、ほとほと疲れているのが現在。


ペンキを塗れる日は一体いつ...... 年内に来るのか。秋冬は雨も多いし、なんだか一生終わらないような気になってくる。辛い。よく家のリフォームや工事をする友達が、「家の中がめちゃめちゃ... 業者が入ってくるから防犯にも気を使わないといけないし、大変!」と言っていたのはこういうことだったのかと... 今になってよく分かった。




フランスで心穏やかに暮らすのは、なんと難しい... と思っていたら、それはまだまだ終わりじゃあなかった。斜め上を行く新たな問題が発覚したのである。それはおとといのこと。


その日は、火曜日の午前、お昼前。私は書の仕事を頼まれていたので、カーヴに片付けておいたかな用の硯と、文鎮を取りに行こうとした。いっぱい持っているので。

ちなみにフランスに帰ってきてから、カーヴに行くのはもう数回目である。



『こないだ確か、書道用品はここにまとめて片付けておいたはず...』そう思って棚を見ると、棚の上に無造作に文鎮が置かれ、墨汁が入った大型ボトルは逆さまの状態で投げ出されているわ、入れておいたはずの袋さえなくなっていた。



これはおかしい。墨汁のボトルを逆さまにして置いておくなんて、私では絶対にしない。夫は最近カーヴには来ていない。ふと、視線のすぐ左側にある、以前プレゼントでもらったボルドーワインを数本入れておいた箱、それもいざという時のために警戒して、カタカナで「ワイン」と書いておいた箱に手を伸ばすと... 綺麗さっぱり、中身がなくなっていた。やはり、である。



3 週間前に来た時は『これワイン入ってるから危ないな』と思い、『でも他に置くとこないし、どうせカーヴ来るの私だけだから、このままでいっか☆』と思った記憶があるので、なくなるはずがない。だけど、なくなっている。ご丁寧に箱は上下逆にひっくり返されてもいた。



しばらく「誰かが盗んだらしい」という事実に脳内処理が追いつかず、頭が真っ白になったけど、状況が理解できてからというもの、恐怖と怒りでいてもたってもいられなくなった。速攻オフィスにいる夫に電話するも、カーヴの入り口の南京錠が壊されていなかったので、「どうやって入ったの?本当にワインなんかあった?」とか言って、まともに信じてくれなかったので、そこでまた怒り急増。


「3 週間前はあったの!私、中確認してたの!それがもうないの!モノプリの袋もないの!それに入れて運んだんだと思う!」


散々言うと、「ワインなんかどうでもいいよ、どうせ警察に言ってもろくに取り合ってくれないんだから、時間をロスするなよ。頼むから被害届出したりしないでくれ」と、忙しいフリーランスである私のことを気遣ってくれたのだろうか、でもこちらは然るべきところへ届け出ないと、収まるものも収まらない。



ものすごく面倒くさかったけど、すぐに保険会社へ電話し、事情を説明し、書類を作ってもらった。新しく買う南京錠は、なんと保険でカバーしてくれるそう。概算でいいので、盗られたものの総額を出してと言われた。



そして警察の方は、なんとネットで "被害届(前段階)" なるものを出せるようになっていて、ちょっと感動したね。フランスも私がいない間に進んだじゃないかと。しかし今時珍しいレイアウトのダサいフォームだったので、やっぱり昔からあったのかもしれないし、全然連絡はくれないしで、何の捜査もされなさそうな予感。



まぁいい。しかし納得がいかないのは、南京錠が壊されていないのに、どうやって中へ入ったのか?である。忍者なのか。



私たちは全体で 20 戸くらいの小規模アパートに住んでいるので、大体の人を知っているし、昔は毎年 6 月にご近所パーティーをしたこともあったので、顔見知りなのだけど、そのため、何かあると注意喚起のために、下のホールの壁へ、貼り紙を出す習慣がある。私も早速書いて、プリントアウトして(プリンター持っててよかった!)、貼り出した。



今朝になって、管理組合の責任者であるムッシュがやって来た。「貼り紙見ましたよ。それで今カーヴを見に行ったんですけど、どうして入られたのか分かったので、今ちょっと一緒に見に来てくれませんか、すぐ終わります」と言うではないか。私は緊急に飛び込んできた日本との仕事を終わらせて、パリへ出かける用事があったのだけど、こちらも大事なので一緒に行ってみることにした。このムッシュは長年このアパートに住んでるだけあって、どこが誰のカーヴなのかさえ、熟知していた。



私たちの家のカーヴまで来ると、「ほら見て」と。もう唖然とするしかなかった... だって鍵、もげてるんだもん!!😂



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(ちなみにこの写真は、興奮状態の私が夫へ送りつけるため薄暗いカーヴの中でフォーカスや構図などを一切考えずに撮り、それを見かねたお父様が加工して明るくしてくれたものですw)



南京錠の意味なし!壁のセメントからもげとる😂



というわけで、鍵がこんな状態なら子どもでも押せば入れるよ。ということで、華麗に原因が判明したのであった... ちなみに現在、カーヴ床をいよいよ土壁からセメントにすべく、業者が通っています。なのでありとあらゆる通路のドアが、日中開きっぱなしだった☆




どうせいつ飲むかも分からない、しかもよろしくない縦置きにしたままのワインたちだったので、まぁいい。数年前、ボルドーへ移住した義姉がくれたもので、この辺では買えないローカルワインだったのが痛いが... それより痛いのは、なぜかなくなっている私の書道用の、下敷き(それも大判)である。これは、6 月にイベントでの仕事を頼まれて、片付けをした時、小さなスーツケースに入れておいたのだけど、このスーツケースがどうしても見つからないのだ。



思うに、おそらく数回に分けて盗まれたと思う。泥棒もまさか書道用の下敷きが欲しかったとは思えないけど(いや、欲しかったのかな?笑)。あれは以前、先生に譲ってもらったいい毛氈の下敷きなので、なくなるとマジで痛い。買うと高いのだよ。しかも全紙サイズ... フランスでは買えん!モンマルトルの布市場で売ってるウール生地とも違うのだ!どうしてくれる!その辺に捨てるんだったら返してくれ、マジで!



という感じで、フランスで心穏やかに暮らすのはなんと難しい... (二回目)。はやくも決意が揺らぎそうである。東京はよかった...。一度なんか、日曜日にトイレから水漏れがしたのだけど、管理会社に電話すると、オペレーターの女性がきちんと電話に出てくれるし(フランスはまずそこから怪しい)、1 時間後には修理する方が来てくれ、支払うものは何もなかった。しかも、聞くとなんとその方も小さい子がいるパパというではないか。家族で過ごすべき日、日曜日にですよ。これを聞いて私はかなり心が痛く、申し訳なくなってしまい、『何か、、、!!何かプラスのお礼を!!』と、しかし家には缶コーラしかなく、「本当にこんなものですみません...!」と言って丁重にお渡ししたのを覚えている。



日曜日に赤の他人の家のトイレを速攻直しに来てくれて、それも料金が発生しないとは、これはどんなフランス人にとっても、まず衝撃的だろう。夫もかなり感動していた。




まったくまりちゃんたらネガティブなことばかり書いてー、と感じられたら申し訳ない。私たちなりに、一生懸命適応しようとしているのだけど、こうもトラブル続きなので参っている😂 次は一体何が起こるのだろうか。もうコンテンツとして楽しむしかない(嫌だ)。秋になってから子は、同じクラスのジェームスくんに顔を引っかかれてライオンキングみたいになったり、はたまた喘息が発覚したりと、不安なことだらけだけど、楽しく幼稚園へ通っているし、たくましく暮らしていくしかない。



あっ、今日も全然小見出しが付けられなかった.....


 
 
 
  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 11 août 2021
  • 8 min de lecture

Dernière mise à jour : 30 oct. 2021


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多分、世界中の子を持つ親が思ってると思うけど、夏「休み」とは名ばかりの、魔の 8 月に突入して 10 日が経った。しかし、まだたった 10 日。1/3 しか経っていないのである。


まぁ、こうなることは分かっていた...。夫が 7 月に転職したので、フランスはバカンスの国で有名だけれど、初年度からいきなりバカンスは付いてこないので、夏の間も働きづめ。こういうご時世だっていうのに、毎日オフィスへ出社して、その上何ならほぼ毎週 1 回地方出張があるレベルで忙しくしている。私、絶句。


私はと言うと、タイミングよく、少し仕事が減ったので、1 日の半分くらいは子と過ごすようにしているが、それでも時々ミーティングが入ったりする。(あと新しいクライアント様も継続して探しております!!)


そして 5 月からお世話になっていたシッターさんとは、7 月末でお別れ。彼女も故郷のモロッコへ颯爽と旅立って行ってしまい、どっちにしろ 9 月になったら子は徒歩 3 分の幼稚園へ通うので、みんなハッピーに契約終了だった。9 月よ、早く来て!!


東京の保育園は 8 月も毎日預けられたからよかったなぁ、今思うとあれはちょっとした奇跡だったのでは... と、またも日本が恋しくなる始末。9 月よ、早く来て!!



なので、8 月 1 日に、同じパリ郊外にある夫の実家へ来た。そこから秋の新学期まで、実に 32 日間、ここで義理の両親と一緒に暮らす予定だったのだが、優しい義両親なので、疲れていると絶対に口にしない!


だけど、疲れが来ているのは一目瞭然で、私も家事を手伝ったり、子と過ごしたりするけれど、このままではヤバい。夫は家からなら近いけど、ここからは片道 1 時間強かかる場所へ通勤しているので、こちらもまた毎日疲労困憊になって帰宅してくるのが、冗談でなく夜の 8 時。夫が家を出るのが朝の 8 時。その間、文字通り 12 時間、私と義両親の 3 人で子の相手をするという... コロナがなければ速攻日本の両親を呼び寄せるか、日本へまた帰っていたであろう...。



義両親のおかげでヘッドカウントが増えたのは素晴らしく、大変助かっているのだが、それでも疲れるところを知らないのが我が子の体力で、なぜにこんなへにゃへにゃな私の子が、こんなにも体力に溢れ、疲れることがないのか... 誰か一体教えてー(涙)。



義両親の家は、パリの南の方にあるのだけど、自宅よりもかなりのんびりとしたエリアで、家のすぐ近くにちょっとした林を切り開いて出来た公園がある。そこか、少し離れた池の近くか、隣町の公園に行くこと多数。子は今年 3 才になったおかげで、公園で激しく一緒に遊ばなくても見守ればよくなってきたので、だいぶ楽になった。



コロナのせいでお砂場が減らされたけど、その代わり、木くずで埋めてあったりする。この時期の公園は、いつもと違って人が少ない。時々やはり、持て余した子どもを連れて、遊びに来ているような家族を見かける。私たちのような事情で、バカンスに行きそびれたのだろうか、それともこれから出発なのだろうか。同い年くらいの子どもが集まると、子はそっと近寄り、自然と遊び出すから、子どものコミュニケーション能力は素晴らしい。



おもちゃを貸し合ったり、貸すのをいやがって揉めたり。まだ少し難しい遊具はそおっと、慎重に進んだりと、人生で大事なことはすべて公園で学ぶよなぁと、そういう姿を見守る時、いつも私は思う。子ども同士でも、公園にはちょっとした社会が存在していて、そんな子どもの社会を少し遠くから傍観していると、面白いことがたくさんある。大人として、時には近づいて、小競り合いの仲介役になったりする。子がおもちゃで誰かを叩くことがないよう、しっかり言いつけると、また少し離れたベンチに戻る。そしてまた見守る。「この子知ってる、知らない」は関係なくて、どんな肌の色だとかも関係ない。子どもは子ども同士、どんな子でも先入観なく遊ぶ。年齢だって関係なさそうだ。なのに、どうしてある程度大きくなると、いわゆるバイアスが生まれてしまうのだろう?残念なことだ。



いろいろあるフランス生活だけど、フランスのいいところ、そのうちの一つは、「いろんな人が住んでること」である。


公園にいても、外国人なのは私だけではない。スペイン語が聞こえてきたり、中国人のママだったり。みんな必死に子育てしている、同じ母親だ。一人じゃない。有難い。あとこれはマルシェで話しかけられたのだけど、ぱっと見フランス人に見える人でも、話してみると「私、カザフスタン出身なの」ってことがあった。



義両親の住んでいるエリアは、一見するとすごくホワイトな感じがするので、私が歩いているとちょっと視線を感じるような(ただの自意識過剰なだけであるが)、そういうふしもあるけれど、駅まで近づけば、アフリカ系、アラブ系、アジア系... 実にいろいろなカラーの人々がいて、すれ違い、私もその一員に過ぎない。そしてみんな、フランス語という共通言語を解し、同じ文化をシェアしている。多様性に富んでいるというのはそれだけ日々のマネージメントでは困難も多いけれど、いろんな人がいる、そしてそのいろんな人々はある時点でフランスという国を目指し、やって来て、根付き、暮らしていて、また新しい文化が生まれていく。そのサイクルと土壌が好きだ。


「フランス語を話せば君もフランス人」。それは自分たちが楽だからなのだけど、そんなちょっと身勝手なフランス人のロジックが好きだ。





さて、私はそもそも 2011 年の夏に長期出張として 3 ヶ月滞在して、一時帰国すると、年明けの 2012 年に、今はもうない「同一企業内ビザ」という、いわゆる「転勤ビザ」で来た。


それから 2 年間働くと、事情によりそれは更新せず、夫と PACS と呼ばれる事実婚をしたので、2015 年に「家族ビザ」へ切り替えて、その後パリ市内から郊外への引っ越しも挟み、何度か更新をして、 2019 年に東京へ引っ越すまで暮らしていた。しかし、そのビザが日本へ行っている間(というのも変だなw)、2020 年の 5 月に失効してしまった。


日本に住んでいたので当然更新することも出来ず、今年フランスへ戻ってきた際は、事前に広尾のフランス大使館で長期ビザを申請しておいて、入国、現在に至る。ということで今回は、初めてフランスに暮らす人の体で、手続きしなければならないのである。学生の頃も含めて、もう合計 10 年近くフランスで暮らしているのに(笑)!


とは言っても、一度切れてしまったものは仕方ない。噂によると、そもそも前回の時点で 10 年カードが申請できたからしてればよかったのに論や、十分フランスで暮らしたのでその年月が溜まっており、次回更新からは自動的に 10 年カードがもらえたはずだ論など、悔しいことばかりだけど、今回のビザでは、いわゆる「フランス社会へ統合するための研修」に参加しないといけなくなった!ついに、である。(前は、転勤ビザホルダーには義務じゃなかったので、受けたことがなかったの🙈)



有難いことに、健康診断付きである。私は 2018 年にフランスで子を産んでいるのと、その後東京で夫と日本式結婚をしたので滞在許可証が降りるのは間違いないけど、コロナのせいでただでさえ普段から仕事の遅い県庁は、なんと今、9 ヶ月もの遅れが発生しているそうで、私が滞在許可証をもらえるのはいつになるのやら... しかしちゃんと研修への招集メールは来たので、出かけてくる。えぇっと、「自由、平等、博愛」... いろいろ答えられるようにしておかなくっちゃ。



余談だけど、私はなぜかパリで、ブラジル人やロシア人の友達が多くって、そういう、二重国籍を認めている国出身の子たちは、ある時点でぱっとフランス国籍を取得してしまうから、日本出身の私は羨ましいことこの上ない。早く日本が二重国籍を認めてくれればいいのだが...


二重国籍を認めない国籍法は「合憲」 東京地裁が初判断(リンク
外国籍を取得すると日本国籍を失う国籍法の規定は憲法違反だとして、海外在住の8人が日本国籍を維持していることの確認などを国に求めた訴訟で、東京地裁(森英明裁判長)は21日、合憲と判断して訴えを退ける判決を言い渡した。この規定をめぐる憲法判断は初めてとみられる......



韓国系アメリカ人の友人は、滞在許可証の更新手続きをしていたら、なぜか「フランス国籍の方が簡単に取れますよ」と言われて、マニアックなフランス史までハマって勉強した後、本当にフランスのパスポートが取れてしまった(笑)。本人も"It doesn't make any sense but it's okay.." と言っていたので面白い。


ブラジル出身の友達(エンジニアで舞台俳優)は、フランスに対する知識チェックのテストで、「歴代の王は?」とか、「フランスに帰化した著名人を答えなさい」と言われて、「クロヴィス」とか「マニュエル・ヴァルス」という洒落た回答をして、面接官をうならせたそうだ。なんて格好いい!!聞かれたら、私も真似しよーっと😏



「統合研修」でここまで聞かれることはないだろうけど、多重結婚をしてないかとか、そういったフランス共和国が許すまじとしていることは確認されるはず。してないよw


日本が二重国籍を認めるのが先か、それとも自分が決断するのが先になるのか、まだ全然分からない。子はフランスで生まれたから両方パスポート持ってていいよなぁと、自分の子なのに羨ましくなる。いつか国境のない日々が来るだろうか、そんなことをぼんやりと考えたりする。今日も、公園のベンチで。





あ、今日も小見出しが付けられなかった...






 
 
 

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