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KOMIDASHI WO TSUKERO

ニュースや日頃考えていることなど

I will mostly address in Japanese or English on this page - apologies!

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こないだ、わたくし大失敗をしました。9 月に新学期が始まって、新しく違う国からやって来た家族もいるし、親も子どもと一緒に、みんなまとめて知り合えたら... ある日、韓国人のママ友数人と、そんな話になり、気候のいい秋のうちに、ピクニックを計画することに。



ソウル在住の方はきっと同意してくれると思うんだけど、予定した 10 月上旬は、なぜか連日雨、雨、雨。おかげで延期を余儀なくされ、バカーーンス明けの 11 月上旬まで持ち越すことに。天気予報を見ると、雪マークは出てるわ(結局それは間違いだったみたいなんだけどw)、最高気温はぐっと低くなってるわで、さすがにお昼ごはんを外で食べる=ピクニックするは難しそうなので、「13 時半頃からみんな公園にコーヒーとお菓子持っておいでよ」という、ゆるい会に変更することに。ゆるい会、最高!



子のいる B 組だけでなく、せっかくなので A 組の家族も全員誘うことに。前もって軽いリマインダーも送っておいた。それなのに、当日になると急激に寒くなったからか、バカンス疲れなのか、「ごめん、子どもが風邪引いて今日来れない😭」、「昨日旅行から帰ってきて、疲れていて...」とキャンセルの連絡が、雪崩のように 5 件🤣



結局来てくれたのは、A 組で保護者代表を務めるベルギー人のパパ Y と、Y の子ども二人だけだったのである🤣



... まさかの出席率。元プロのコミュニティマネージャーとして、あるまじき企画力。(冗談です)



具合が悪いのはしょうがないので、誰のことも責める気もないけれど、HSP の私は、『(日本人の)私が企画したから...?!』とつい思ってしまう。一度延期して、やっと... だったのに、Y 以外誰も来ないし、せっかく大きいテーブルも確保したのに、その他から連絡さえなかったのは、けっこうヘコんだ。待ちながら、子も「ねぇママ、誰が来るの?!いつ来るの?!」と突っ込んでくる。うぅ、そんなのママが知りたいよ...😭



「14 時まで待って、誰も来なかったら帰ろう!寒いけど、天気もいいし。来てよかったじゃない?」と言ったのだけど、こういう時、子の前ではついポジティブに振る舞おうとしてしまう。本当は傷ついているのに。しかしふと思い出したのだ。私が子どもの頃、悲しいことがあった時。母は同調して、真っ先に励ましてくれた、いつも明るく振舞っていたなと。



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母だって傷ついて、塞ぎ込むことがあったはずなのに、不思議と母は、いつも明るかった。フルタイムで働いて、しかも仕事が激務だったので、時々疲れて、ソファで寝落ちしているのは見かけたけれど、悲しくて落ち込むとか、感情的になるということはなかったので、これは母本来の性格なのか、「母だからそうしていた」のか、疑問に思った。そしてその明るさに、助けられて、30 年くらい経った今も、その明るさをふと思い出す。私も子に、同じことをしてあげたいと思う。泣くのは一人で、後でいい。



私は元来暗い性格で、一人でじっと何か書いて(描いて)遊んでいたりとか、典型的な隠キャだったのだよ...(今も大して変わっていない気がするが😂)これが変わったのは、関西に引っ越してからなのか、はたまたフランスに留学した頃からなのか。根は陰湿で、ネガティブになりやすい。自分でも困るくらい傷つきやすく、夫には時々吐き出して、(無理やり)聞いてもらったりするけれど、やはり「母」をやるようになってから、この 7 年くらい、自分がポジティブに転化していることに気づいた。突然の陽キャ化?!


ポジティブ寄りになったのはいいことだけれど、toxic positive になるのはよろしくないと思っていて、きちんと現実を見れる人でありたいと思っている。





子に対してお手本でいたいなどと、大それたことはあまり考えていないのだけど(意識低いので...)、やっぱり何事にもポジティブで、強い姿を見せたい、子にもそうなって欲しいと思う。私の母も、そう思っていたのだろうか?



また、私の母と違って、私自身はお菓子作りが壊滅的に下手だったり(笑)、自分が "いい母親" をやれているとは決して思えないのだけど、それでもなんとか、自分が受け取った愛情の倍以上は子にもあげたい、小さいうちだけでも... と思う。7 歳で、見た目は大きくなっても、中身はまだ赤ちゃんのようだし。そのうち面倒くさがって、「ぎゅう」もしてくれなくなるかもしれない。



私はきちんといい母をやれているだろうか?子に聞いてみたら、「そう?ぼくにとってはいいママだよ?」と日本語で言ってくれた😭 お菓子を作って帰宅を待っているような母でなくてごめん...(あ、今回の投稿は決してママハラではありません)



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母親業を通して、ポジティブさは手に入れたかもしれないが、反対に無くしたものは、アーティスト性だ。「自我(エゴ)」とも言えるかもしれない。私は一体何が表現したかったのか、すっかり分からなくなってしまった。


私に体力がなく、また不器用なせいで、なぜかこの二つの両立がとても難しい。夏に、ボルドー近郊の美しい田舎に引っ越した義姉の家に初めて行って、一週間過ごしたのだけど、「マリ、最近カリグラフィーはやってる?」と聞かれて、一瞬戸惑った。しかし、天井が高くて、広い、朝の優しい光がたっぷり入るリビングの開放感のせいか、つい正直に話してしまった。


哲学教師をやっている義姉に、嘘はつけない。いつも、すべて見抜かれているような気がするから。



話を終えると、幸い、否定も、責めることもせず、義姉はこう言った。「そういう時期って、聞いてると、すべてのアーティストにあるみたいね。特に女性アーティストには。男の画家の方が圧倒的に多い理由、なぜだか分かる?誰が洗濯して、料理してたのかって話よ」。



義姉は、少し前に、長年のパートナーで、二人の子の父親でもあるミュージシャンの男性と別れたばかり。「XX もそうだったわ、特に冬になると、『インスピレーションが湧かない』って言って、困ってた。その間、誰が子どもたちの世話と、家のことをしてたと思う?」



まさか性別のせいだとは考えたことがなかったので驚いたが、義姉の言うことには一理あった。昔見たフランソワーズ・サガンの映画で、お手伝いの女性が一緒に住んでいたシーンを思い出す。では、カミーユ・クローデルは?どうしていたのだろうか。



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お姉ちゃんの本棚に飾ってあった額... ここで買えるらしい。



アーティストの、製作スイッチが入る時。インスピレーションが降ってきた時。家の中は散らかっていたのか、それとも整然としていたのか。製作が、芸術が大事で、片付けは後回しでよかったのかもしれない。かの北斎なんかは、掃除が出来ず、家の中が常時大変なことになっていたので、なんと引っ越しをしてその都度凌いでいたらしいことが分かっている。北斎には確か、その血を受け継いだ娘がいたはずだが、もしや娘も製作に没頭するような、同じタイプだったのだろうか。それはとても幸せなことであるし、やはり私には、まだまだ修行が足りないという気がする。



お菓子は作れないにしても、出来る範囲でいい「母親業」をしたい。仮面だけでも被りたい。こんなところで私の真面目さが顔を出す。私は本当は夜型だけど、子がいるおかげでなんとか毎日 7 時には起きて 23 時半までには寝るような、真っ当な生活を送れている。けれど、また時間にとらわれることなく、リビングで夜通し製作に没頭するような、そんな特別で、幸福な時間に巡り逢いたいとも思ってしまう。永遠の憧れ。



女性で、アーティストであるからと言って、「母」でない人がいるわけでもないし、両立出来ている人はごまんと居る。女性だけが家事をするべきではないし、女性だけが特に家事に優れているわけでもない。けれど、女性の方が、なぜか社会に求められる役割が多くて、いろんな顔を演じ分けなければならないような、不公平さがあるのも事実だ。(そいや夏に読んだ本では、「分人主義」という新しい考え方を知って、すごく心が楽になったっけ)




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先生が昔言っていた —「母親になるとね、自分を犠牲にすることを学ぶからね」。母が、いつもケーキやフルーツなどの美味しいもののひとかけらを決まって私に譲ってくれたような、そんな自分を犠牲にする心が、私の中に出来上がっているとは... 到底思えない。


いろいろな仮面と人格を駆使して、どのバランスがベストなのか、まだまだ手探りが続く。












 
 
 

皆さんお元気ですか?ちょっとまた放置していたけれど、決してこのブログのことを、忘れていたわけではないんだぜ。(あと、一回の記事が猛烈に長いから、許して✨)


夏はちょっと日本の実家に帰って、そこで子は、私が通った日本の小学校に 1 日体験入学!しかし、子にはストレスでしかなかったらしく、翌日お尻に巨大ヘルペスが大発生。それから急いで韓国に戻り、家族でがっつりおフランスにバカーーンスに行っていたら、冗談でなく頭がすっかりダメになって韓国に戻ってきて、しかし新学期の準備と、ストレスフルな現実はきちんと待っていてくれていた。


夏が楽しかった分、子はおフランスに対してガチのホームシック発令中。なお、現在も続く... どうしたらいいのかな、少なくともあと 2 年は韓国の予定なんだけど...(汗)。



という感じで、私も子も、なかなかハードな 9 月を過ごしていたら... 季節はもう、10 月中旬。あれ、また例の、2 週間続く悪夢の学期休み(バカーーンス)がやって来た... おかしいな...



もう、タイトルですべて言ってしまっていますが... あれは私が、パリで書道を再開してから数年経った頃のことなので、30 代の前半だっただろうか... ある日アトリエに行くと、「自叙帖」という書で盛り上がっている。書いた人は懐素で、狂草体というらしい。見た瞬間、私は稲妻に打たれた。自由で、まるで宇宙に浮いているような世界が広がっていたからである。



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こっ、これはどこで実物を見れるのか。た、台湾?!噂の故宮博物院か。しかも先生は、やはりさすがで、台湾で実物を見たことがあると、さらりと言う。しかも「すっごく小さいよ」とか言っている。しかしフランスから台湾は遠いな... 台湾とか韓国に遊びに寄らず、フランス - 日本間を往復するのがやっとだというのに。



いろいろ葛藤しながら、舐めるように画集を眺めた。懐素の画集を複数持っていた先生は、一冊を私に売ってくれて、以来大事に眺めたり、出産直前、最後のライブパフォーマンスのイベントでは、私もお披露目したりと、ずーーーーーっと憧れの書だった。その時の様子がこちら。写真が残っていてよかったぜ...



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現地があまり暑くない、秋休みに台湾行きをぶつけて、そのまま日本の実家に帰って、周遊してソウルへ帰ってくればいいのでは?ついでに、最近何かと台湾に用事もある & 永遠に中国語を勉強している父も誘って、一緒に台湾で遊べばいいのでは?


大枠が決まれば、あとは早い。無論、ソウル - 台北間は毎日飛んでいるものの、新設された台北 - 地元の空港間、そして復活した地元の空港 - ソウルの LCL 便よ、ありがとう!!これでわりかし安く、周遊の旅も叶った。



台北では、目にするものすべてが好きだった。あちこちに生きた書があり、夢中で写真を撮った。『もう台湾に行ける日は来ないかもしれない...!!』と思って、私と子だけは張り切って 5 泊したのだけど、あまりに台湾が好き過ぎて、事あるごとに、子に「ママね... 台湾大好き(J'adore Taiwan)」と言っていたら、子もうんざりしてきて、ホテルにあったメモ帳にお絵描きしていたかと思えば、私が「台湾大好き」と言った回数をカウントし始めているではないか。


子よ、これは母の、10 年越しの夢だったのである。母から表現と言論の自由を奪わないで欲しい。



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それが、このリスト... 😂 正直表側だけでは足りないので、2 枚目に行っていた...(しかし紛失w)




そして気合を入れて、着いて翌日に訪れた、肝心の故宮博物院、「自叙帖」ですが、なんとどれだけ書のフロアを見ても見つからない。展示されていない。これは嫌な予感がするぞ。


係員の方に質問すると、なんと、


「現在、来年の 1 月末まで、宗の時代の特別展を行っているので、唐の時代の書は展示していないんです。一階の特別展も素晴らしいので、ぜひご覧くださいね、懐素は別の作品がありますよ☺️」と言うではないかー!!(それはもう見ました最高でした!!)



それを聞いて、冗談でなく、ベンチに倒れて、泣いたね... もう立派なアラフォーだけどさ... 悲しいものは悲しい。子も横で励ましてくれる。確かに、黄庭堅や米芾の、有名な書も見ることができた。それだけで十分なのかもしれない。



故宮博物院と言えば、かの有名な国宝・白菜ちゃんも、チェコの美術館に現在出張中らしくて、不在。(しかも入口に、「私は今チェコに行っていて、いないよ、ごめんね」みたいなかわいいポスターがこれでもかと掲示してあって、『まじか... 残念だけど、かわいいかよ... 許す!』って気持ちに)。



白菜ちゃんと同じくらい有名な、かの国宝「肉片」こと「角煮」ちゃんですが、こちらは一階で行われている特別展で、ふと振り返ったら、突然、いたw



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本来ならば、角煮ちゃんにピントが合うべきですが、大勢の人がいたので時間を取れず、

子の手にピントが合っていて申し訳ない...




それにしても、いくら似ていたというかポテンシャルを感じたからと言って、天然の宝石で、「よっしゃ、白菜と角煮作ったろ!」と思う、当時の職人の発想と腕が、最高過ぎる。「バッタも付けとけ!」みたいな。台湾大好き。


我々家族は、あと 2 年はソウルの予定なのに、ソウルの後、台北に行きた過ぎる(主に私がな!)。夫へのピッチに毎晩励みつつ、まずは 2 回目の冬(それも極寒)を頑張って、乗り越えることにしよう。何事も、楽しみが大事と言いますからね。Small goal 作りまくり。




そんなふざけた話は置いておくにしても... 私はこの旅で、このすっかり凍りついた私の心が、台湾で素晴らしい書にたくさん触れて、刺激を受けることができないか、密かに企んでいた。


効果は絶大。台湾よ、ありがとう... 私もまた、書に向き合うぞ。もし本当に台湾に住めたら、また一から書をやり直したい。鍛え直してもらいたい。書の大作が展示してあるショーケースの前に、真剣な眼差しで並び、見つめる台湾の人々を目にしたら、私は自ずと胸が熱くなった。いい字とは、どれだけ時代を超えても、やはり人の心に響くものがあるのだなと、教えてもらったようだった。



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自分でも、なんでこんなに書道が好きなのか分からない。けれどいい字は見たい。舐めるように見たい。



台湾、あちこちにいい字だらけで、終始眼福。私は前よりもだいぶスムースにハングルが読めるようになってきたけれど、やはり漢字は、見れば一発で大体の意味が分かるという利点が日本人にはある。しかも台湾は繁体字を使っているので、なんと読みやすいことか... 漢字の美というものをびしびしと感じた。



漢字の美は、日常で目にする街の看板にも存在しているわけで、歩きながら、バスの中から、撮りまくる。台北の街全体が、書道美術館のような気がしてくる。中には『これ、おそらく一発書きで書いてるよな...尊敬』というものも目にし、がくぶる。



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かすれに注目!



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こちらは、同じお店の看板が、隷書と楷書で書かれているという...

なんて贅沢なんでしょうか。私は見逃さなかったぜ!!



来年、今度こそ「自叙帖」の実物を見るべく、またリベンジに行かなくては。今度は夫も連れて、三人で。しかも故宮博物院では、子が疲れてしまって、3 階のフロアに関しては登るのも禁止され、一切見れなかった...😭


来年は、日本から母にも参加して欲しい。夫にも母にも、私があまりに興奮して、いかに台湾が最高だったか連日声高くアピールしているので、みんな「分かった、分かったよ。行きたくなった」と言ってくれる始末。



思い返すと、20 代のある年の誕生日に、中国出身の友達が、このアーティストの CD を、「きっとマリちゃんが気に入るはず。それから夢が叶いますように」とそっと贈ってくれたこと。去年フランスから韓国に引っ越してくる飛行機の中で出会った台湾映画 "Imperfect Us" の、美しいカリグラフィーに魅了されたこともある。




ジョアンナ・ワン。台湾の有名音楽プロデューサーの娘で、台北生まれ、カリフォルニア育ち。



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この書の美しさよ!!ストーリーの方は、こちらでチェックしてね。



そんな、いろいろな Taiwan calling が重なって、この度やっと、夢の台湾へ。私には、台湾人の友達が三人いる。一人は、検索の会社時代に台湾から、まったく同じ role をし、日々チャット越しに励ましあった友人 P と、パリにいる、韓国系アメリカ人の友達を通じて知り合った、ロンドン在住の Y。


P には今回現地で会えて、Y には、インスタの DM でたくさん tips をもらいました。感謝!それからソウルで知り合った、台湾出身のママ友、C。彼女にもいろいろおすすめをもらった、感謝です。



これを書きながら、Apple Music で Taipei Top 10 や Made in Taiwan というプレイリストを流している。前者はやはりというか、かなり K ポップがランクインしてくるので、Seoul Top 10 とあまり代わり映えしなくて、後者が断然いい感じ。


韓国語の勉強が、やっと初級の上に入ったところだと言うのに、今度は台湾の北京語が学びたくなってきた。



友人 Y に教えてもらったのだが、台湾には古き良き懐かしい風景が残っているので、そんな風景を求めて旅行に来た韓国人によって、数年前に「台湾感性(대만감성)」というトレンドが生まれたらしい。



街並みに見る独特の美学 昨今「台湾感性」という言葉がネット上で話題となっているが、それは何を指すのだろう。新しさの中に少し懐かしさを感じさせるもの、あるいは温もりのある自由な雰囲気 ...


確かにね、お世辞にも、『これは... 近々、外壁の塗直しをした方がいいのでは?!マンションの共同組合、機能してるの?!』と心配せずにいられない場面にも出くわし、閉口したが、しかしそのボロボロさが、なんとも言えない味わいと魅力を醸し出していたことよ...🤣



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路地裏最高。これも立派な「台湾感性」か。




旅行前に様々なアドバイスをくれた友人、それから台湾で優しく接してくれた、すべての人に感謝します。皆さん穏やかで、私たちが夜市でつい離れ離れになっても、怒ることなく、ニコニコして待っていて下さったり...。父の友人は無論、出会う人ほとんどが日本語バイリンガルで、びっくり!タピオカのお店でも、店員さんが「あ、日本人ですか?!」ってすぐ切り替えてくれた🤣



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基本的に現地でしか飲めない、台湾の、激旨 18 ビール。

私はもし将来有名人になって CM に出れることになったら(ありえないけど)、

AERA の表紙と、ビールの CM に出たいと長年言っている程のビール好きですので、

関係者の方々よろしくお願いします。どゆこと?w



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食べ物のことなら任してくれ!開店前から並んだ、西門大世界の火鍋店。

美味し過ぎ!小グラスもお土産に購入。



「ソウルでしばらくそんな笑顔見てないね」と、妹と夫に速攻突っ込まれたのは秘密...


世界に台湾があってよかった。台湾がいつまでも台湾でいられますように。そっと祈る。



 
 
 
  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 12 juin
  • 6 min de lecture
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先日なんと、ずっと健気に溜めていた JAL のマイルがある程度溜まり、6 月末に切れますよーというお知らせをもらうに至った。


私は願わくば、パリ - 東京間をまたビジネスクラスで味わいたい...!と目論んでいたのだけど、よくよく考えると、私にそんなニーズもシチュエーションも訪れるわけないのであって、それには相当時間がかかるのであって、ソウルに住んでいる今だからこそ、もしやソウル - 羽田だったら行けるのでは...?


そう思い立ち、カチカチいろいろと日付を変えて、リサーチすること一晩... やっぱり梅雨は避けたいしな、とか思いながら、念願叶って、一人で東京二泊三日の旅行ができるという、夢みたいなことが現実になったのである。Tokyo !



こんな幸運が私に訪れるなんて!!私は頬をつねっていた。平日は基本毎日ワンオペの私を労ってか、夫も快く送り出してくれた。感謝。子の方も、「え、なんでママ一人で行くの?」みたいな顔をしていたけれど、「うん、いいよ」と快諾してくれた。東京には大体いつも子と一緒に行っていたので... 子なりに、びっくりしたんだろうね。遊び足りない、不良な母でごめん。



東京で友達が連れて行ってくれた、銀座近くのヴェネツィア風バール。平たく言っても最高だった。早くまた行きたい。
東京で友達が連れて行ってくれた、銀座近くのヴェネツィア風バール。平たく言っても最高だった。早くまた行きたい。

東京自体は、3 月の学校休み(例の 6 週間に一度訪れる 2 週間のバカンス)以来、なんと今年 2 回目という幸運さ。これもまた珍しいことです。


東京に家がないので、ホテルになるし、ご存知の通り、東京のホテルの値段はインバウンドにより高騰中。コロナで失った売り上げを取り戻すぞと言わんばかりの勢いが続いている。子と二人だったら、いつも数日だけホテルに泊まっていたけれど、正直一人ではなんとかなる、適当に安いところを押さえようと思っていたら、まさかの「うちに泊まってください!」とのお申し出をいただいて... 本当に感謝しても感謝しきれないぐらいでした。E さん、ありがとう!



東京で会った友達や元同僚には、ことごとく「で、韓国語は上手くなったわけ?」という類の質問をされた。毎回、「いえ、まだ全然... 今やっと、初級のクラスが終わるところで」というこれ以上にない正解を答えたのだけど、なぜか納得してもらえない。どうやら日本人の頭の中には、「韓国語は日本語に似ているので、比較的勉強しやすい言語」という意識があるのだと思う。



確かにね。認めましょう。数年前までは、私もその一人だったよ。実際に勉強してみると、日本語と文法がとても似ているのと、漢字語(中国語や日本語由来の言葉)が多いので、ハングル文字さえ読めれば、『あぁこのことだな』と分かるシーンは、多々ある。


加えて日本と街の作りが似ているので、『このサインにはきっと "駐車禁止" と書いてあるんだな』と読んで、想像することが出来る。私もなんとか、日々そうやって survive しているのだが、前にも書いたけど、私を苦しめるのは発音と、ハングル文字なのである。



子どもの頃から、数字がよく分からなかったり、学習者にとって一番簡単と言われる「韓国語を読むこと」が、なぜだか私にとっては一番難しい。局地的に、そこだけディスレキシアが発生しているとでも言うべきか。母音を読み間違えるのなんてしょっちゅうだし、聞き分けられない音もある。



今のところ、英検でいう 1 級のようなレベル、かの TOPIK 6 級などを目指そうとは思っていない。とりあえず失礼のない受け答えができ、コミュニケーションが取れれば十分だ。しかも、住んでいるエリアでは、英語かフランス語で日々十分事足りるという、便利な現実もある。


しかし、ちょっとでもカフェやコンビニに行こうものなら、そこは一気に韓国が広がっているわけで(というか元々ここは韓国なわけで...)、コーヒーを買うのにさえも、私はぼろぼろとした言葉を繋いで、非常にお粗末にしか話せなかったのである。


しかし!年始から通ってる学校のおかげで、ロジックが分かり、だいぶスムースになってきた。感謝。とは言ってもまだまだ全然話せませんので、韓国語が出来る皆様、「しめしめ、今度まりちゃんと韓国語で話してやろう」などと思わないで下さいw



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よく例文にもある通り、「韓国語の勉強は難しくも、まことに興味深い」。


ある程度読めるようになると、漢字語で出来ているのがよく分かったり、きっとあの音のことだなと推測したりして、脳内ではまるでゲームのよう。何よりここまで文法が似ている言語を学ぶのは初めてのことなのだ。フランス人がすぐにイタリア語、スペイン語、ポルトガル語などを習得してしまう気持ちがようやく分かった。フランスにいるルーマニアの人も、きっとこういう気持ちだったのね...



私は母方の祖父母のこともあり、かねてより朝鮮半島の歴史・社会、韓国語に興味があったし、特に現代韓国語における純粋な朝鮮語(固有語)の比率が気になっていて、いくつものウェブサイトを覗いたり、日本の大学の論文を読んでみたりしたのだけど、調べてみると、どうやら 3 割前後らしい。


そしてそれらの言葉をよく見つめてみると、体のパーツや、形容詞、身の回りの言葉、シンプルな動作の動詞など、そういった、「古来から自分たちではこう呼んでいましたよ」という風情が感じられるような、愛おしい言葉ばかりだった。


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愛おしいとは言ったが、それは綺麗事であって、実生活においてこれらの固有語を覚えるのに、無茶苦茶苦労している。(固有語ではないらしいが)どうやったら箸が「チョッカラッk」で、スプーンが「スッカラッk」と覚えられようか。今まで覚えてきたどの言語とも繋がりがないのである。とにかく何らかの繋がりを見つけて、無理やりにでもこの 41 歳の脳に押し込まないといけない。



不思議と、韓国語にはフランス語と似た振る舞いを見せることがあって、H は次の子音に飲み込まれて一緒に発音されたりだとか、リエゾンが起きているなぁと思ったりする。助詞でも、次にどの音が来るかでどっちの活用をするかなど、そういった不規則な、細かいルールを覚えるのに心を砕いている。



と、ここまでいろいろ書いた。調べつつ書いたけれど、まだまだ初級の学習者なので、もしかしたら間違ったこともあるかもしれない。予めお詫び申し上げる。




あと 3 週間で夏休み。今週末には韓国も梅雨になるかもとの予報だ。夏休みになれば、子と一緒に少し日本に行き、その後は夏の間ずっとフランスにいるので、せっかくここまで学んだ韓国語が、すっかりと抜け落ちてしまうことだろう。


私には元々、英語やフランス語との相性が 80% くらいあったとすれば、韓国語に対しては、69% くらいな気がしている。なので、本当に私の頑張り次第。どこまでたどり着けるのか、未知数でしかないけど、(実はちょっと夢もあるしで)行けるところまで行ってみたい。














 
 
 

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