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KOMIDASHI WO TSUKERO

ニュースや日頃考えていることなど

I will mostly address in Japanese or English on this page - apologies!

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  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 7 janv.
  • 5 min de lecture

新年、明けましておめでとうございます。今年もみんな元気で、穏やかに、幸せに過ごせますように。世界が少しでも平和に近づきますように。今年もどうかこのマイペースなブログに、優しくお付き合いをお願いします。



ソウルでクリスマスを過ごした後、子と二人で実家に 10 日間程帰省した。行きのフライトが飛行時間なんと 60 分で、改めてびっくり。地理的に近いこともあるが、こんなところでも韓国のパリパリ文化を感じるとは...


実家では、年明けに久しぶりに大雪が観測された。20cm も積もった。庭は厚く白い雪で、すっぽりと埋もれていた。実家にいると歩く機会も減るし、よろしくないので、自発的に雪かきもしてみた。数年前にフランス中部のスキーキャンプへ連れて行った際は、全然雪がなくて、人工雪を降らせていたくらいだったから、初めて見た本物の雪に、子は大興奮。いい思い出になったといい。




新年を迎えたけれど、新年の抱負みたいなものは去年のうちに決めてしまったし、「スタート」よりも、今は「後半戦が始まる」と言う方がしっくりきている。なんだかやっと「スタートライン」に立ったような気持ちもしている。


なぜかと言うと、(少し気が早いけど)1 月が終わると、韓国での生活がちょうど折り返しになり、残り 1 年半になるからだ。どうやら延長戦はなさそうで、最近、夫ともこのことをよく話す。韓国に来てからもう 1 年半が経ったなんて... 信じられない。



というわけで、何かが劇的に変わったわけではないけど、静かに、次の区間へ入っていくような感覚がしている。お正月にテレビで流し見た、母の好きな箱根駅伝を思い出すな。残り 1 年半と言っても、次の赴任先が決まり、本格的に動き出すのは来年に入ってからだろう。学校のリズムで考えると、今年もあと、わずか半年。7 月の第一週には、長い長い夏のバカーーンスが始まってしまうからだ。3 年て、長いのか短いのか... ずっと慣れずに、頭が混乱している気がする。



目的地が決まっていないからと言って、止まらずに、進むことを意識したい。何の反応がなくても、「挑戦」って小さく書いた小石みたいなものを、まるで水面に残る余韻のように、投げ続けたい。そこから小さく余波が広がって、届いた先で新たな反応みたいなものが起きたら、それは一体どんな色をしているんだろうか。楽しみだ。



言葉の分からない国で暮らすということ。似ているように見えてまったく違う文化。現在進行形の冬の寒さ... 今は辛くても、きっとあとで振り返ったら、やり切った自分を誇りに思えるだろう。優美な馬のように、焦らず、着実に歩んでいけたらいいな。







地元の神社で出たおみくじ。心に響く内容だったのと、「愛しぬくこと」って、キャ!




15 キロぴったりに収まったスーツケースの中には、半紙が 500 枚入った箱が 2 つ入っていた。手に取ると、久しぶりにこのずしっとした重みを感じた。書道教室をすると決めてから、去年のうちに、フランスから持ってきた道具をきちんと並べて、何があるのか、何が足りないのか整理をした。


先生から譲り受けた、緑色で大判の、毛せんの下敷き。放ったらかしにしていて、ごめん、と、まるで毛布のように抱きしめた。大事な筆たちも、筆巻きの中でちゃんと待っていてくれた。筆たちは決まって「まりちゃん、もうこんなに長いスランプは止めてよね。私たち、暗いところにいるのは嫌よ」とでも言っているかのようだった。



12 月のうちに、ソウルの仁寺洞エリアにある書道用品店をすべて回ってきた。夫が近くで働いているので、車でオフィスまで一緒に行って、寒い日だったけれど、あとは歩いて回ってきた。あの界隈にある、ありとあらゆる筆屋、紙屋、硯などの道具屋... 言葉もろくに出来ないのに、勇気を出してその全部に入ってみて、いろいろ触らせてもらった。中には、「その硯は、わしが作ったんじゃ。こっちはたぬきの筆」と優しく教えてくれる老店主にも出会った。



韓国製の国産の筆もあれば、中国製も大量に置いてある。以前、広島の熊野を訪れた際に、日本でも山羊の髭など、原材料はもう取れないので、すべて韓国や中国からの輸入になると聞いたことがある。



驚いたのは、韓国にはいわゆる「半紙」サイズの紙が存在しないこと!なんと半紙は、日本オリジナルだったのである。道理でどのお店に行っても、紙は、まるで全紙を包んだ反物の状態で平積みされているはずである。「このサイズはありませんか?」と聞いても、「ない、ない」の返事。「必要なら切るよ」と言ってくれたお店もあったが、「切って作ってあげてもいいけど、これだけ手数料取るよ」と感じの悪いお店もあった。(残念ながらその感じが悪いお店で、絵筆を洗う黄色いバケツを買ってしまった...私ってば甘過ぎるぜ)



というわけで、地元の書道用品店に、一年の最後の営業日に飛び込んで、半紙計 1000 枚買う、それも二種類の違う紙を。という暴挙に出てみた。お店の人は丁寧に、「これは滲みが出て、こういう感じになります。これは漢字向けで...」など、丁寧に説明してくれた。小さい店だが、あのお店は私にとって、台湾に次ぐくらい書道パラダイスである。教本や文鎮など、中古品も大量に売って下さっているのがまた素晴らしい。連れて行った子が、何か割らないか心配していたのだけど、楽しそうに篆刻用の石などを眺めていたので安心した。


半紙だけは今後も、二ヶ月に一回帰省できるのをチャンスにして、毎回買って帰らなければならないだろう。紙だけはいくらあってもいい。慣れたらそのうち、仁寺洞のお店で切ってもらいたい。... 感じの悪いお店は避ける。






 
 
 
  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 9 déc. 2025
  • 11 min de lecture

Dernière mise à jour : 10 déc. 2025


「まりちゃん、韓国語やめるってよ」という直球タイトルにしようか迷ったが... 思わせぶりな、詩的タイトルにしたい欲が勝ってしまった。皆さん、お元気ですか?ソウルは早速極寒に突入しかけているよ。



前々から、家族や親しい友達には打ち明けてきたのだけど... 韓国語の勉強が、本当に辛い。どうして同じ東アジア出身で、日本語が母国語だというのに、こうも辛いのだろうか。私はどうして韓国語との親和性がこんなにも無いのだろうか。


しかも韓国語の語彙は、大多数が中国語と日本語を起源にしていて、文法だってかなり日本語と似ているし、「こんなにも日本人にとって学びやすい言語はないよ」とまで言われるくらいなのに、今まで韓国に移り住んで、ぺらぺらになった日本人やフランス人を複数知っているというのに、私に言わせてもらえば「それなりに、超難しい」と言うしか他ならない。



話は遡るが — 私は小学校五年生の頃、なぜかその時期だけ、突発的にラジオを聞くことにハマっていた。誰がくれたか、小型ラジオ(しかもデジタル目覚まし時計付き)みたいなおもちゃが突然手に入ったせいで、日曜の午後など、お昼ごはんもそっちのけに、部屋でひたすら FM ラジオを聞いていた。暗い子...😂 



思えば、一番最初に韓国語に触れたのは、おそらくその頃だろう。私は山陰地方で育ったこともあって、夜になると時々朝鮮語の放送がキャッチできることがあった。ノイズ混じりにかすかに聞こえてくる言語は聞き慣れないもので、隣にいた父に「これ何語?」と聞いた記憶がある。あれはどちらの国の朝鮮語だったのか... (おそらく南の言葉だとは思うが)


海辺で遊んでいると、ハングル文字が印刷されたペットボトルを拾ったこともあった。今思うと、ソジュ(焼酎)のボトルだと分かる。初めて見る、どう読んでいいかも分からない文字で困惑したのを覚えている。



海に来ると、決まって父にいつも質問した。「ねぇ、この海の向こうにイギリスがあるの?」。父はなぜかイギリスが好きで、まだ幼稚園児だった私と妹を置いて、イギリスの田舎にある日突然、短期ホームステイに出かけたくらいだったので、幼い私にとっては、漠然と「海の向こう=イギリス」という図式が出来上がっていたのである。(ていうか 80 年代後半の日本で、娘二人のワンオペを妻に託し、イギリスにホームステイしに行くって... 義姉が聞いたら怒りそう😂)



父は決まって、「そうだよ。でもその前には、韓国や中国、ロシア... そのずーーーっと向こうにイギリスがあるんだよ」と教えてくれた。幼い私は、山陰の、なんでもない海岸沿いから遠い海の先にあるらしいそういった国々について、想いを馳せていた。その頃から、ぼんやりと、遠い外の世界に対して強く興味を持つようになっていったのかもしれない。



それから月日は流れ、私は京都で大学生になっていた。日本全体に、K ポブームの到来である。久しぶりに帰省すると、そんな私を察してか、父がさりげなく、ハングル文字が簡単に読める本というものを貸してくれる。「いろいろ読んだけどね、これが一番易しいよ」とか言っている。


確かに、漫画形式で、絵と合わせて書いてあり、この本のおかげで、数字・記号が苦手な私でもすぐに理解できた。システムの理解と、この形の母音は N で、この形の子音は A だとか、組み合わせで出来ている — そういった風に。



K ポップのみならず、世界的に韓国映画やドラマなどの韓国語コンテンツが大人気になると、圧倒的に韓国語に触れる機会が増えた。そうやって過去 5 年以上を濃密に過ごしていたら、日本語と似ているおかげで、字幕があれば、なんとなく意味が分かるレベルにも達した。


しかし、未だにきちんと体系立てて勉強したことはない。その時はまだ、2024 年に、約 15 年に渡るおフランス生活の後、まさか韓国へ引っ越すことになろうとは夢にも思っていなかったのである。





2025 年の年明けから、ここソウルで、私の本格的な韓国語の勉強が始まった。長期滞在者には、韓国政府が無料で授業を受けさせてくれるという有難いシステムだ。実は、始めの placement test で、「下から 2 番目のクラスへ入ってください」と言われたのだけど、うっかり返信を怠っていたら、「もうそのクラスは定員で埋まりましたので、一番下のクラスへどうぞ」と言われた(笑)。


定員の意義とは... って感じであるが、ぼやぼやしていた自分の責任なので、仕方ない。しかし、これが逆にとてもよかったのである。なぜなら、これ以上ない超初級のクラスなので、先生は、母音の発音・音の違いから徹底的に教えてくれたのである。テキストで見て勉強するだけでは到底分からなかった。「ウ」の音でも全然違うんだな、中国語っぽい感じもするな、やっぱり近いだけあるな、と感じたり。


さらにラッキーだったことは、センターの中でも最高の先生に出逢ったこと。生徒たちは「他の先生は遅刻にも厳しいし、授業は硬くて、全然楽しくない。友達はみんな止めちゃった」とかよく噂話をしていた。


それからアルゼンチン、バングラデシュ、インド、オランダ、デンマーク、フランス、オーストラリア、フィリピン、イラン人の親子、そしておフランス経由日本出身の私... 大体 12 人くらいで構成されるクラスメイト。



皆、いろいろな理由で韓国に来ていた。奥さんが韓国人だという者、カンナムで超高給英語講師として働く者、旦那さんの駐在で来ている者、ワーキングホリデーで来ている者... 様々だった。中には、母が 70 年代に、韓国から欧米へいわゆる国際養子縁組に出されて育ったので、自分はハーフコリアンだという子もいた。




過去に行われていた韓国の海外養子縁組については沢山観た。後半にクラスメイトも登場している。



終始笑いが絶えず、雰囲気はいつも楽しかった。教科書に、ちょっとでも面白い写真が出てくると、絶対に誰かがからかい出す。先生も「韓国語での “アルバイト” という言葉の起源は...」など、面白いエピソードを多数披露してくれて、教室は毎回笑いに包まれていた。



ある時、「私は◯◯です」という定番文句、会話の練習中に、一人のクラスメイトがしんみりと、悲しい顔をした。遠慮がちに話し出す。


「私は、実は医者なんだけど、夫が大使館に勤めてるせいで、 4 年に一回、国を動かなければならない。赴任先の国で医師免許があるわけではないので、働けないし、現場から離れてもう数年経つ。友達は働かないなんて優雅でいいねと言うが、全然そんなことはなくて...」


と言うではないか。


これを聞いて、みんな絶句、クラスは共感の嵐...!同じく駐妻として日々微妙な気持ちと葛藤している私は『医師の彼女に比べたら、零細フリーランスの私の悩みなんか何でもない...!!この人は医者になるべく研鑽を積んだのに、今は外国にいるせいで働けない苦しみを味わっているなんて!!😭』とショックを受けた。落ち込みがちな自分の頬を殴ってやりたい。(言い過ぎ)



様々なドラマというか、どうして韓国にやって来たのか、ちょっとした縮図のようなものがぎっしり詰まっていた。皆とても真面目で、エリートだった。「実は医者なの」発言の後、「実は私も本当は弁護士なの。だけど韓国では...」や、「母国で Ph.D.  に取り組んでいたんだけど、もう行き詰まっちゃって、全部やめて、韓国にやって来たわ」という発言も続き、私はそんなクラスメイトを尊敬する気持ちでいっぱいだった。先生は優しい微笑みで私たちを見つめていた。



夏の間は通えなかったので、必然的に皆とは離れ離れになり、レベルを一つ落とすことになる... せっかく韓国で出来た友達だったので、それがイヤだった私は、必死に一人で勉強をして、一つ上のクラスのテストを受験、無事合格。しかし、実際の授業が始まる前の二日間は、改めて猛勉強。



それぐらい大好きだった韓国語学校だったというのに、今年で終わりにすると決めた訳は... 



①私もそろそろいい加減、少し仕事をして、稼がなければ、家計がやばい。(こんなに貧乏な駐在員一家がいるだろうか... 否いない😭)


どれぐらいやばいかって?今日の私のお昼ごはん、残ってだいぶ硬くなったパンに、インスタントのきのこスープを付けて食す、だからね。なめないでくれるか。


まったくゴッホもびっくりよ。こんな食事したの、パリで学生だった時以来だよ😂 ちなみにこれ以外の時は、大体何らかの麺を食べている。もちろん、家で。



②家計もやばいし、私のメンタルヘルスもやばい。



③家計もやばいし、私のメンタルヘルスもやばいし、このままではいつまでも私の経済的自由がない。→これはサステイナブルではない。予想以上にキツい。




…現場からは以上です。





そもそも「駐在員」というビジネスモデルが、このグローバル社会において機能していない — とっくに破綻していると思っている。駐妻は働けないなんて、基本的人権の剥奪じゃないか、とさえ思う。(駐在する国にもよりますが...)



私たちは甘かったのだ。日本人なんだから、韓国語はすぐにマスター出来るだろう。そうしたら仕事もきっと見つかるだろう。夫さえ、そう思っていたらしい。しかし現実は厳しかった — 韓国は厳しかった、と言うべきかもしれない。



(私のスキルが至らないというのは大前提にしても)そもそも「英語で勤務可」の求人は皆無だし、どの求人にも絶対 “ Business Korean” 、“Full Korean proficiency” と書いてある。基本的に、グローバルに働きたい人・非韓国人向けではないのだろう。



私は負けた。韓国に完敗した気持ちだった。韓国語にも完敗した。初級の下が終わって、こんなにも話せない言語があるなんて。


長年 K コンテンツを観てきただけあって、相変わらず聞き取りは出来る。だけど、気を抜くとすぐに簡単なハングルさえも読み間違える。返答は相変わらず出来ない。もどかしい。フラストレーションだけが溜まっていく。


学校で習ったフレーズさえも間違えたりして、言い直そうとすると、韓国の人は大体せっかちなので、もうこっちの話なんか聞いていないし😂、動詞と形容詞の活用にいたっては、語尾の種類が多過ぎて、しかもそのどれもが似ていて、まったく覚えられない。それに敬語表現が加わったら... 悪夢だ。



上記はあくまで、一般的な「ヘヨ体」と呼ばれる、失礼のない口語表現であって、これにかの有名な「イムニダ体」が別枠として存在している。君臨していると言うべきか。韓国語でのニュースやインタビュー映像なんかを見ると、皆決まって「イムニダ体」で話しているのに気付く。



実は私には、韓国語がマスター出来たら、やってみたい夢があった。(BTS に仕事で会う、ではなくて...)それは、ソウルの孤児院でボランティアをすることだった。残念ながら相変わらず韓国語が話せないので、役に立たないのはおろか、面接にさえ漕ぎ着けられないであろう。



今まで語学だけは得意で、楽しく勉強してきたというのに、韓国語には完敗。なんという屈辱。これがもしイタリア語だったら、もう少し親和性があったのだろうか... いや、夫にはいつも「アクセントの位置が違う!」と怒られているしな(笑)。


また、週に 2 回、合計 3 時間だけ学習するのでは、到底足りないのも分かっている。韓国語を立派にマスターした外国人の友達は、皆決まって、「あぁ、それじゃ全然足りないよ、もっとインテンシブに勉強しなきゃ」と言うではないか。



確かにね。英語だって、(私の場合は)小学校 5 年生の頃から高校卒業まで近所にあったイギリス系の塾に毎週通い、中学に入っても英語だけは楽しく勉強し、高校にいたっては半数の授業が英語という特殊な環境だったし、そのまま外国語大へ行ってしまった。


フランス語にいたっては、二十歳の頃、パリで週に 25 時間、これを10 ヶ月半、集中して勉強したっけ... 。週末も遊びに出かけず、部屋に篭って、ほぼ泣きながら必死に活用を覚えたなぁ。


そう言えばこの頃、私は、今でも 15 区にあるプロテスタント系の学生寮に住んでいて、隣の部屋には韓国から来た女性が住んでいた。劇団員で、演劇を勉強しに来たと言っていた。寮には彼女以外にも韓国人の女の子達が複数住んでいたので、夜に彼女の部屋で集まると、必然的に韓国語での会話が聞こえてくる。私は壁越しにそれを聞きながら、眠りにつくこともあった。



しかし。しかしなのだよ。自分でも諦めが悪いと思うが、英語にしたって、フランス語にしたって、私が今韓国に住んでる期間 = 一年と二ヶ月もその言語圏で暮らしていれば、普通は高校生でも、もう少し話せるようになっていると思うのだよ。少なくとも、今の私の韓国語会話レベル(ほぼ0☆)よりは....... 


注・私がアラフォーでもう脳がヤバいってことは十分考慮しても、です。



それなのに、韓国語の難しさと来たら...... 勉強自体はとても面白いのに、話せないので喜びもない。諦めるのは悲しい。普通だったらこんなことしたくない。真面目に毎週 6 ページもある宿題もこなして、中間テストがあれば満点目指して必死に勉強した。週に二回学校へ行って、大好きな先生と友達にも会って、外の世界もあるんだなと感じて、少しは人間らしい気持ちにもなって、暖かい気持ちで帰宅する。


なので、あくまで断腸の思いで決断したのだと、理解してもらえると嬉しいです。間違っても石を投げてこないでー😂



それで出来た時間に何を始めるかと言うと — 冷やし中華始めました。というのはもちろん冗談で、ついに 1 月から書道レッスンを再開します。Ta-da!





さて、書は私を助けてくれるだろうか?書が甘くないことは、今までの経験上、重々分かっているつもりだ。しかし今、韓国で私に出来るのはこれしかない...... 初心にかえって頑張ります。


ソウル市へのコンテンツ提供(原稿書き)の仕事も、なんと継続になりました。こちらも引き続きよろしくお願いします。


韓国語は、これからはマイペースに、趣味として계속(継続)するぞー❤️


 
 
 


こないだ、わたくし大失敗をしました。9 月に新学期が始まって、新しく違う国からやって来た家族もいるし、親も子どもと一緒に、みんなまとめて知り合えたら... ある日、韓国人のママ友数人と、そんな話になり、気候のいい秋のうちに、ピクニックを計画することに。



ソウル在住の方はきっと同意してくれると思うんだけど、予定した 10 月上旬は、なぜか連日雨、雨、雨。おかげで延期を余儀なくされ、バカーーンス明けの 11 月上旬まで持ち越すことに。天気予報を見ると、雪マークは出てるわ(結局それは間違いだったみたいなんだけどw)、最高気温はぐっと低くなってるわで、さすがにお昼ごはんを外で食べる=ピクニックするは難しそうなので、「13 時半頃からみんな公園にコーヒーとお菓子持っておいでよ」という、ゆるい会に変更することに。ゆるい会、最高!



子のいる B 組だけでなく、せっかくなので A 組の家族も全員誘うことに。前もって軽いリマインダーも送っておいた。それなのに、当日になると急激に寒くなったからか、バカンス疲れなのか、「ごめん、子どもが風邪引いて今日来れない😭」、「昨日旅行から帰ってきて、疲れていて...」とキャンセルの連絡が、雪崩のように 5 件🤣



結局来てくれたのは、A 組で保護者代表を務めるベルギー人のパパ Y と、Y の子ども二人だけだったのである🤣



... まさかの出席率。元プロのコミュニティマネージャーとして、あるまじき企画力。(冗談です)



具合が悪いのはしょうがないので、誰のことも責める気もないけれど、HSP の私は、『(日本人の)私が企画したから...?!』とつい思ってしまう。一度延期して、やっと... だったのに、Y 以外誰も来ないし、せっかく大きいテーブルも確保したのに、その他から連絡さえなかったのは、けっこうヘコんだ。待ちながら、子も「ねぇママ、誰が来るの?!いつ来るの?!」と突っ込んでくる。うぅ、そんなのママが知りたいよ...😭



「14 時まで待って、誰も来なかったら帰ろう!寒いけど、天気もいいし。来てよかったじゃない?」と言ったのだけど、こういう時、子の前ではついポジティブに振る舞おうとしてしまう。本当は傷ついているのに。しかしふと思い出したのだ。私が子どもの頃、悲しいことがあった時。母は同調して、真っ先に励ましてくれた、いつも明るく振舞っていたなと。





母だって傷ついて、塞ぎ込むことがあったはずなのに、不思議と母は、いつも明るかった。フルタイムで働いて、しかも仕事が激務だったので、時々疲れて、ソファで寝落ちしているのは見かけたけれど、悲しくて落ち込むとか、感情的になるということはなかったので、これは母本来の性格なのか、「母だからそうしていた」のか、疑問に思った。そしてその明るさに、助けられて、30 年くらい経った今も、その明るさをふと思い出す。私も子に、同じことをしてあげたいと思う。泣くのは一人で、後でいい。



私は元来暗い性格で、一人でじっと何か書いて(描いて)遊んでいたりとか、典型的な隠キャだったのだよ...(今も大して変わっていない気がするが😂)これが変わったのは、関西に引っ越してからなのか、はたまたフランスに留学した頃からなのか。根は陰湿で、ネガティブになりやすい。自分でも困るくらい傷つきやすく、夫には時々吐き出して、(無理やり)聞いてもらったりするけれど、やはり「母」をやるようになってから、この 7 年くらい、自分がポジティブに転化していることに気づいた。突然の陽キャ化?!


ポジティブ寄りになったのはいいことだけれど、toxic positive になるのはよろしくないと思っていて、きちんと現実を見れる人でありたいと思っている。





子に対してお手本でいたいなどと、大それたことはあまり考えていないのだけど(意識低いので...)、やっぱり何事にもポジティブで、強い姿を見せたい、子にもそうなって欲しいと思う。私の母も、そう思っていたのだろうか?



また、私の母と違って、私自身はお菓子作りが壊滅的に下手だったり(笑)、自分が "いい母親" をやれているとは決して思えないのだけど、それでもなんとか、自分が受け取った愛情の倍以上は子にもあげたい、小さいうちだけでも... と思う。7 歳で、見た目は大きくなっても、中身はまだ赤ちゃんのようだし。そのうち面倒くさがって、「ぎゅう」もしてくれなくなるかもしれない。



私はきちんといい母をやれているだろうか?子に聞いてみたら、「そう?ぼくにとってはいいママだよ?」と日本語で言ってくれた😭 お菓子を作って帰宅を待っているような母でなくてごめん...(あ、今回の投稿は決してママハラではありません)





母親業を通して、ポジティブさは手に入れたかもしれないが、反対に無くしたものは、アーティスト性だ。「自我(エゴ)」とも言えるかもしれない。私は一体何が表現したかったのか、すっかり分からなくなってしまった。


私に体力がなく、また不器用なせいで、なぜかこの二つの両立がとても難しい。夏に、ボルドー近郊の美しい田舎に引っ越した義姉の家に初めて行って、一週間過ごしたのだけど、「マリ、最近カリグラフィーはやってる?」と聞かれて、一瞬戸惑った。しかし、天井が高くて、広い、朝の優しい光がたっぷり入るリビングの開放感のせいか、つい正直に話してしまった。


哲学教師をやっている義姉に、嘘はつけない。いつも、すべて見抜かれているような気がするから。



話を終えると、幸い、否定も、責めることもせず、義姉はこう言った。「そういう時期って、聞いてると、すべてのアーティストにあるみたいね。特に女性アーティストには。男の画家の方が圧倒的に多い理由、なぜだか分かる?誰が洗濯して、料理してたのかって話よ」。



義姉は、少し前に、長年のパートナーで、二人の子の父親でもあるミュージシャンの男性と別れたばかり。「XX もそうだったわ、特に冬になると、『インスピレーションが湧かない』って言って、困ってた。その間、誰が子どもたちの世話と、家のことをしてたと思う?」



まさか性別のせいだとは考えたことがなかったので驚いたが、義姉の言うことには一理あった。昔見たフランソワーズ・サガンの映画で、お手伝いの女性が一緒に住んでいたシーンを思い出す。では、カミーユ・クローデルは?どうしていたのだろうか。




お姉ちゃんの本棚に飾ってあった額... ここで買えるらしい。



アーティストの、製作スイッチが入る時。インスピレーションが降ってきた時。家の中は散らかっていたのか、それとも整然としていたのか。製作が、芸術が大事で、片付けは後回しでよかったのかもしれない。かの北斎なんかは、掃除が出来ず、家の中が常時大変なことになっていたので、なんと引っ越しをしてその都度凌いでいたらしいことが分かっている。北斎には確か、その血を受け継いだ娘がいたはずだが、もしや娘も製作に没頭するような、同じタイプだったのだろうか。それはとても幸せなことであるし、やはり私には、まだまだ修行が足りないという気がする。



お菓子は作れないにしても、出来る範囲でいい「母親業」をしたい。仮面だけでも被りたい。こんなところで私の真面目さが顔を出す。私は本当は夜型だけど、子がいるおかげでなんとか毎日 7 時には起きて 23 時半までには寝るような、真っ当な生活を送れている。けれど、また時間にとらわれることなく、リビングで夜通し製作に没頭するような、そんな特別で、幸福な時間に巡り逢いたいとも思ってしまう。永遠の憧れ。



女性で、アーティストであるからと言って、「母」でない人がいるわけでもないし、両立出来ている人はごまんと居る。女性だけが家事をするべきではないし、女性だけが特に家事に優れているわけでもない。けれど、女性の方が、なぜか社会に求められる役割が多くて、いろんな顔を演じ分けなければならないような、不公平さがあるのも事実だ。(そいや夏に読んだ本では、「分人主義」という新しい考え方を知って、すごく心が楽になったっけ)






先生が昔言っていた —「母親になるとね、自分を犠牲にすることを学ぶからね」。母が、いつもケーキやフルーツなどの美味しいもののひとかけらを決まって私に譲ってくれたような、そんな自分を犠牲にする心が、私の中に出来上がっているとは... 到底思えない。


いろいろな仮面と人格を駆使して、どのバランスがベストなのか、まだまだ手探りが続く。












 
 
 

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