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駐妻生活は全然キラキラしていなかった

  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 14 mai
  • 6 min de lecture

Dernière mise à jour : 11 juin


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春。韓国も桜が美しい季節。ソウルに引っ越してきて、半年が経った。一年まであと半分。とは言っても、子の学校が 7 月の第一週には終わり、その後は 9 月まで、長い長い夏休みが始まるので、一年のうちほぼ二ヶ月はソウルにはいなくて、フランスに戻ることになる。いまいちソウルに住んでいると言えるような言えないような...



ちなみに声に大にして言いたいことと言えば、おフランスの学校の、休みの多さ!!いいか、よく聞いて欲しい。おフランスの学校は、「6 週間に一回、2 週間の休みがある」のだ!!



これを言うと、友人の日本人、韓国人、インド人、アメリカ人... どの国の人も度肝を抜かれている。そりゃそうだよね。特に日本人と韓国人なんて、学校が終わっても放課後、部活に明け暮れるか、夜遅くまで塾に通ったり、あるいは通信教育で勉強したりして、勉強漬けの生活を送る。高校に入れば、大学入試が控えており、大学在学中には就職活動が始まる。


いざ働き始めたら、休みは少なく、働き詰めの生活を送るというのに、かたやフランスの子どもは幼少期から、「6 週間に一回、2 週間の休み♡」というリズムを文字通り体で覚え、それが染み付いたまま大人になるのだから... なんていうか、世界は広いよなぁ(苦笑)。それで立派な大人になる* のだから、本当に不思議である。



そして大人になっても、最低でも、年 5 週間の有給休暇が保証されているという国。おフランスがバカンスの国と呼ばれる理由はこれではない。子どもの頃から始まっているのだ。



*フランスの学校は本当にバカンスが多いが、日本に比べて式典や行事などがないので、授業数は確保されていると言える。あとは中学卒業時と、高校卒業時に大事な資格試験があるので、これをパスしないことには、その後の人生はなかなかハードモードに...



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40 歳になって、異国で新しい挑戦をする夫を応援するため、好きだった会社を辞めて、家族で韓国に引っ越してきた。夫は以前、私が急に東京で働くことになった際、自分の仕事をいったん保留にし、一緒に日本に付いてきてくれたので、次は私の番なのは、当然のことだった。夫婦だし。(と言っても、結婚したのは東京に着いてからなんだけど... てへ)



今までずっと働いてきたけれど、40 歳にして、私は突然、いわゆる「駐妻」になった。正直、これには戸惑ったし、複雑な気分になることも多かった。ただでさえ私は、自分の人生を生きたい、何かしていたいタイプなのに、外の世界と関わりを持たず、家に収まるなんて考えられない。自分の収入がないというのは思っていた以上にキツかった。


会社を辞める時に、「えー!駐妻になるんですね!」とか、「働かなくていいいなんて、いいですねぇ」と羨ましがられたりもしたが、心の中ではこのままずっとパリにいたい気持ちと、昔から興味のあった韓国に一度は住んでみたい欲とがせめぎあっていた。



フランスのからのカーゴも、遅延があったと言えど無事到着し、ミニマリストに思えた生活も無事終了。いろいろ片付けて、生活はなんとか整った。子の学校の様子もつかめ、リズムが出来てくる。年始には、フランス人駐妻のコミュニティにも参加して、カフェに行ったり、K pop のダンスクラスに入って、いきなりジェニちゃんのこの難しい曲を踊らされたりと、私なりにけっこう努力もしてみた。



先生は超絶上手かった。元バックダンサーらしい。



フランス人駐妻は、私の顔がアジア人のそれなので、私のことは自然と韓国人と思っているようで、カフェに行っても、「韓国人ママのテーブルへどうぞ」という感じで、話すことさえ出来なかった。韓国語は全然出来ないんですけどww


この時初めて、フランスにいるフランス人と、駐在しているフランス人はどうやらちょっと違うんだな、ということが分かった。ショックだった私は、グーグル先生に相談すると、「長く転勤を続けると、人付き合いにかける労力が薄くなる」という意見を目にして、自分の心を癒した。なるほど...。




生活がなんとか落ち着いてくると、待っていたのは「退屈」だった。あれ、駐妻生活って、もっとキラキラしてると思ってたんだけどな?おかしいな。私は人生で一番怖いものは退屈することかもしれない。虚無感は、どんな高揚した気持ちも取り去ってしまうくらい、強い気がしている。退屈に呑まれたくない。刺激を受けて、インプットし続けていないと、(ただでさえずっとスランプなのに)いよいよ何も書けなくなってしまう。



目に見えない退屈モンスターと戦う自信はなかった。すでに負けそうだった。そうすると、自分に自信も持てないし、またぐらんぐらんと迷い、悩む日々がやって来る。



そろそろ何かしなくては。ということで、ある日突然、夫が目にした広告がこれ。応募してみると、奇跡的に合格!この春より、ソウル市の外国人居住者向けコンテンツクリエイターに選ばれました✨ 


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相変わらず浮き沈みの激しい我が人生よ...



4 月中旬には、ソウル支庁で行われた就任式にも出かけてきた。私以外にも数人、外国人クリエイターが来ていたので、それぞれスピーチをしたり、記念写真を撮られたりと、それはそれはかっちりしたセレモニーだった。ソウル市長の署名入り任命書までもらう。しかも主催側が、AI の同時翻訳を駆使した司会の中で、


「ご存知の通り、韓国は低い出生率に悩まされており、優秀な外国人の皆さまが魅力的なコンテンツを作ってくだされば、そのようなコンテンツに惹かれた方々が世界中より韓国に来て、居住して下さるのではないかとの思いから... 」


と言っているではないか。まさかそんな重大な裏ミッションがあったとは!!w



韓国の出生率を上げるの?!私のライティングで?!😂 頑張ってみるよ...




これから毎月、あちらよりテーマが降ってきて、それについて書くなり取材をし、早く提出した人かつ中身が全体の構成に合っている記事が選ばれるという仕組み。早く提出した人って...  デッドライン設けてありますけど??w デッドラインの意味とは。いかにもパリパリ文化の、韓国らしいシステムである。



余談だけど、この就任式の後、早速 5 月号のテーマが与えられた。ちょうど連休の時期と重なったので、私は韓国東部に家族で出かけていたのだけど、この休暇にも MacBook を持ち込んで、私は真面目に、毎晩 1 時間は書いていた。合計 6 時間くらいは費やしただろうか。


ソウルに戻って、締め切りの日、午前中のうちに華麗に提出すると、二日後にやって来た返事は「申し訳ありません... 全体との兼ね合いから、今回はボツで」であった。



こんなことある?!w 初回からまったくモチベーションを削がれるやり方だが、どうしようもない。そもそも、合計 12 人いるクリエイターに対し、毎回 5 記事しか掲載しない方針らしい... けど、気に入ったものが書けたこともあり、けっこう落ち込んで、ふて寝して、子が励ましてくれたのも事実... (もうけっこうな大人なのに、泣いたり、ふて寝するなんて止めたいと思うが... あぁ、これも成長かな。←短歌みたいなイントネーションで読んでね)



残念ながらいきなりぽしゃった初記事。提出したものは掲載の有無に関わらず、ソウル市に属するそうなので、書いた私にはもう発表する権利さえない。ここに載せることも出来ない。



もし読んでみたいという人がいたら、そっと pdf をお送りしますので、教えてください。ちなみに私は英語で書き、韓国の大学生が翻訳チームとして同時に複数採用されていて、この学生たちが韓国語に翻訳してくれるそう。こちらのページで、毎月英語・韓国語両方で公開されます。(メニューのお知らせ > ニュースレターのページだよ)



どうか応援してください🫠 次回も掲載されなかったら、やっぱり「駐妻生活は全然キラキラしていない」かも...





 
 
 

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