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KOMIDASHI WO TSUKERO

ニュースや日頃考えていることなど

I will mostly address in Japanese or English on this page - apologies!

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  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 14 mai 2025
  • 6 min de lecture

Dernière mise à jour : 11 juin 2025




春。韓国も桜が美しい季節。ソウルに引っ越してきて、半年が経った。一年まであと半分。とは言っても、子の学校が 7 月の第一週には終わり、その後は 9 月まで、長い長い夏休みが始まるので、一年のうちほぼ二ヶ月はソウルにはいなくて、フランスに戻ることになる。いまいちソウルに住んでいると言えるような言えないような...



ちなみに声に大にして言いたいことと言えば、おフランスの学校の、休みの多さ!!いいか、よく聞いて欲しい。おフランスの学校は、「6 週間に一回、2 週間の休みがある」のだ!!



これを言うと、友人の日本人、韓国人、インド人、アメリカ人... どの国の人も度肝を抜かれている。そりゃそうだよね。特に日本人と韓国人なんて、学校が終わっても放課後、部活に明け暮れるか、夜遅くまで塾に通ったり、あるいは通信教育で勉強したりして、勉強漬けの生活を送る。高校に入れば、大学入試が控えており、大学在学中には就職活動が始まる。


いざ働き始めたら、休みは少なく、働き詰めの生活を送るというのに、かたやフランスの子どもは幼少期から、「6 週間に一回、2 週間の休み♡」というリズムを文字通り体で覚え、それが染み付いたまま大人になるのだから... なんていうか、世界は広いよなぁ(苦笑)。それで立派な大人になる* のだから、本当に不思議である。



そして大人になっても、最低でも、年 5 週間の有給休暇が保証されているという国。おフランスがバカンスの国と呼ばれる理由はこれではない。子どもの頃から始まっているのだ。



*フランスの学校は本当にバカンスが多いが、日本に比べて式典や行事などがないので、授業数は確保されていると言える。あとは中学卒業時と、高校卒業時に大事な資格試験があるので、これをパスしないことには、その後の人生はなかなかハードモードに...





40 歳になって、異国で新しい挑戦をする夫を応援するため、好きだった会社を辞めて、家族で韓国に引っ越してきた。夫は以前、私が急に東京で働くことになった際、自分の仕事をいったん保留にし、一緒に日本に付いてきてくれたので、次は私の番なのは、当然のことだった。夫婦だし。(と言っても、結婚したのは東京に着いてからなんだけど... てへ)



今までずっと働いてきたけれど、40 歳にして、私は突然、いわゆる「駐妻」になった。正直、これには戸惑ったし、複雑な気分になることも多かった。ただでさえ私は、自分の人生を生きたい、何かしていたいタイプなのに、外の世界と関わりを持たず、家に収まるなんて考えられない。自分の収入がないというのは思っていた以上にキツかった。


会社を辞める時に、「えー!駐妻になるんですね!」とか、「働かなくていいいなんて、いいですねぇ」と羨ましがられたりもしたが、心の中ではこのままずっとパリにいたい気持ちと、昔から興味のあった韓国に一度は住んでみたい欲とがせめぎあっていた。



フランスのからのカーゴも、遅延があったと言えど無事到着し、ミニマリストに思えた生活も無事終了。いろいろ片付けて、生活はなんとか整った。子の学校の様子もつかめ、リズムが出来てくる。年始には、フランス人駐妻のコミュニティにも参加して、カフェに行ったり、K pop のダンスクラスに入って、いきなりジェニちゃんのこの難しい曲を踊らされたりと、私なりにけっこう努力もしてみた。



先生は超絶上手かった。元バックダンサーらしい。



フランス人駐妻は、私の顔がアジア人のそれなので、私のことは自然と韓国人と思っているようで、カフェに行っても、「韓国人ママのテーブルへどうぞ」という感じで、話すことさえ出来なかった。韓国語は全然出来ないんですけどww


この時初めて、フランスにいるフランス人と、駐在しているフランス人はどうやらちょっと違うんだな、ということが分かった。ショックだった私は、グーグル先生に相談すると、「長く転勤を続けると、人付き合いにかける労力が薄くなる」という意見を目にして、自分の心を癒した。なるほど...。




生活がなんとか落ち着いてくると、待っていたのは「退屈」だった。あれ、駐妻生活って、もっとキラキラしてると思ってたんだけどな?おかしいな。私は人生で一番怖いものは退屈することかもしれない。虚無感は、どんな高揚した気持ちも取り去ってしまうくらい、強い気がしている。退屈に呑まれたくない。刺激を受けて、インプットし続けていないと、(ただでさえずっとスランプなのに)いよいよ何も書けなくなってしまう。



目に見えない退屈モンスターと戦う自信はなかった。すでに負けそうだった。そうすると、自分に自信も持てないし、またぐらんぐらんと迷い、悩む日々がやって来る。



そろそろ何かしなくては。ということで、ある日突然、夫が目にした広告がこれ。応募してみると、奇跡的に合格!この春より、ソウル市の外国人居住者向けコンテンツクリエイターに選ばれました✨ 


相変わらず浮き沈みの激しい我が人生よ...



4 月中旬には、ソウル支庁で行われた就任式にも出かけてきた。私以外にも数人、外国人クリエイターが来ていたので、それぞれスピーチをしたり、記念写真を撮られたりと、それはそれはかっちりしたセレモニーだった。ソウル市長の署名入り任命書までもらう。しかも主催側が、AI の同時翻訳を駆使した司会の中で、


「ご存知の通り、韓国は低い出生率に悩まされており、優秀な外国人の皆さまが魅力的なコンテンツを作ってくだされば、そのようなコンテンツに惹かれた方々が世界中より韓国に来て、居住して下さるのではないかとの思いから... 」


と言っているではないか。まさかそんな重大な裏ミッションがあったとは!!w



韓国の出生率を上げるの?!私のライティングで?!😂 頑張ってみるよ...




これから毎月、あちらよりテーマが降ってきて、それについて書くなり取材をし、早く提出した人かつ中身が全体の構成に合っている記事が選ばれるという仕組み。早く提出した人って...  デッドライン設けてありますけど??w デッドラインの意味とは。いかにもパリパリ文化の、韓国らしいシステムである。



余談だけど、この就任式の後、早速 5 月号のテーマが与えられた。ちょうど連休の時期と重なったので、私は韓国東部に家族で出かけていたのだけど、この休暇にも MacBook を持ち込んで、私は真面目に、毎晩 1 時間は書いていた。合計 6 時間くらいは費やしただろうか。


ソウルに戻って、締め切りの日、午前中のうちに華麗に提出すると、二日後にやって来た返事は「申し訳ありません... 全体との兼ね合いから、今回はボツで」であった。



こんなことある?!w 初回からまったくモチベーションを削がれるやり方だが、どうしようもない。そもそも、合計 12 人いるクリエイターに対し、毎回 5 記事しか掲載しない方針らしい... けど、気に入ったものが書けたこともあり、けっこう落ち込んで、ふて寝して、子が励ましてくれたのも事実... (もうけっこうな大人なのに、泣いたり、ふて寝するなんて止めたいと思うが... あぁ、これも成長かな。←短歌みたいなイントネーションで読んでね)



残念ながらいきなりぽしゃった初記事。提出したものは掲載の有無に関わらず、ソウル市に属するそうなので、書いた私にはもう発表する権利さえない。ここに載せることも出来ない。



もし読んでみたいという人がいたら、そっと pdf をお送りしますので、教えてください。ちなみに私は英語で書き、韓国の大学生が翻訳チームとして同時に複数採用されていて、この学生たちが韓国語に翻訳してくれるそう。こちらのページで、毎月英語・韓国語両方で公開されます。(メニューのお知らせ > ニュースレターのページだよ)



どうか応援してください🫠 次回も掲載されなかったら、やっぱり「駐妻生活は全然キラキラしていない」かも...





 
 
 
  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 10 févr. 2025
  • 7 min de lecture

Dernière mise à jour : 11 févr. 2025



旧正月の休暇があったので、久しぶりに家族揃って出かけてきた。夫はクリスマス前後の年末に少ししか休めず、私と子だけで日本へ行ったりしていたので、本当に久しぶりに家族全員揃ってのバカンスだった。まだフランスにいた、夏以来かな。



そもそも、思いついたのが私たちらしく、遅く、12 月中旬のこと... 最初はベトナムのフーコックを考えていたのだけど、出遅れたこともあって、いろいろ調べてみると、ものすごく高い!完全なる予算オーバーをくらった我々は、「とにかくどこか暖かいところへ行きたい。この極寒のソウルを少しでもいいから逃げ出したい!」という願望がますます高まるばかり。ぼーっと考えていると、ふと、『はて、フィリピンのセブって有名では...?』という私の思いつきで、調べてみると、予算圏内だし、ベトナムより近いしで、夫承認も無事に降りて、即予約。



うちのフランス人は、とにかく「オーシャンビュー、願わくばプライベートビーチ付き」というこだわりがありますので、Google マップ片手に、海沿いに立つホテルを隈なく探す... すると、島の最南端に、良さそうなところを発見。プールからは絶景が見え、レビューも高評価でいい感じ。



この時まだ、我々は気付いていなかった... そう、セブ島に行きたいと思っていたのに、辿り着いたのはセブ島ではなかったのである。




安心して欲しい。まさかフライトを乗り間違えたとかいう、そういう初歩的なミスではない。極寒の中、朝 3 時に家を出て、ごった返す仁川空港を出ると、マニラで乗り換えて、ちゃんと、セブ島の玄関である、セブ・マクタン空港に着いた。(ちなみに私は、4 時間だけ眠るよりも、もともと夜型なため、誰にも頼まれていないのに前記事を徹夜して書いたので、見事にお肌の衰えも感じながら、一睡もせずに出発!やっぱり睡眠って大事ですね...)



セブ・マクタン空港に着いてから、お願いしていたドライバーさんと出会うと、車へ Go。この時既に、夕方 16 時。ソウルの自宅を出てから、実に 12 時間以上が経過していた。



数日前に Google マップでルート確認をした時に、そもそも気付くべきだった。いや、正確には数日前では遅い。予約する前に気付くべきだった。なぜなら、なぜか「空港からホテルまで 4 時間 20 分」と表示されるのである。それも赤字で。ということは、渋滞がなく、よっぽど上手く行けば 4 時間 20 分で着くけど?ということである。



しかし、隣に 151km と書いてあったので、パリ方面からいつもブルターニュへ 4 時間かけて行く我々は、微塵も疑わなかった... 「151km なんて、2 時間くらいじゃない?」というよろしくない態度だったので、私たちは知らなかったのだよ... セブ島には、高速道路がないことを!!!(強調)



ここで、セブ島に行ったことがある・よく行くという方はお気付きであろう。そもそも、セブと呼ばれる本来のリゾートは、小さい島なので、例え縦横無尽に走ったとしても、4 時間もかかるはずがない。私たちは、なぜか空港を後にして、どんどん違う方へ... 『へー、やっぱり混むんだなぁ。セブの街はこういう感じなのか』と呑気に思っていたら、気のせいか、リゾートなんてものは全然見えてこない。見えてくるのは、とりあえずなんでもあるもの載せとけって具合な家と、日本でいう国道沿いにひしめき合って暮らす人々の姿である... 野良犬もよくいるな...


あれ、もっとリゾートが並んでそびえ立ってるイメージだったんだけどな?



そう... 実は、いわゆるリゾートのセブ島、本物のセブ島は正式名称「マクタン島」と言い、私たちが降り立った空港のすぐ裏手 = 海岸沿いにあったのだ!!私たちが向かっていたのは、セブ島はセブ島だけれども、マクタン島に比べてリゾートは点在している(それでも近年増えてきているらしいが...)という、つまりセブ島だけどセブ島ではない。まったく反対方向だったのである!!



えっ... じゃあ最初から「マクタン島」って PR してくれよ!!なんでセブ島って呼んでるの?!短いから?!セブ島に行きたかったのに、リゾートが少ないセブ島、でもそれは本当のセブ島、に来ちゃったじゃないかよう!!くっ、分かりづらい......


ここで、下の図をご覧頂こう。



右に赤い丸で囲ったところが、セブ島と呼ばれており、リゾートのある正式名称マクタン島。我々が目指していたのは、画面下、左端にある「地の果て」である。


行きの道中では、ドライバーのお兄さんが、話し相手がいなくて退屈したのか、この後泊まるところがないからなのか(英語の説明を聞いたけどいまいち分からなかった...)、なぜか途中で知り合いのおじさんから白い袋をもらって載せたり、若い女の子を載せたりして、島の東側を走らず、夜中の山道を爆走。


『これ、日本じゃ煽り運転って呼ばれるやつだよな...』と冷や汗かいたのは秘密にするとしても、スクーターや乗合バスを追い越すこと、およそ 1,000 回... という感じで、無事ホテルに着いたのは、23 時。えぇ、当初の予想を軽く超える、6 時間半もかかって到着したのである。



しかもこの時、ようやく「ここはどうやらセブ島じゃないらしい...」とはっきり分かってきた頃だったので、ここは一体どこなんだ、という衝撃といったらなかった。だけど、ここが本当のセブ島なんだけどね。ややこしいwww



ここで問題です。


「久しぶりの家族全員でのバカンス、どうやら間違った島にやって来てしまったと分かった時の気持ちを述べよ。なお、費やした予算のことも考慮されたし。」


...泣くしかない。



ソウルの自宅を出てから、華麗に 20 時間近くが経過しようとしていた。大人は何も食べなくてもすぐ眠れれば平気だけど、子はそういうわけにはいかない。いざという時のために、パックごはんを持ってきていた私は、早速営業終了後のホテルのキッチンにある電子レンジを借りて、おにぎりを作って食べさせる。まさか初日で消費するとは思わなかったけど、持ってきといてよかったぜ!!長期滞在すると、途中で日本食が恋しくなるので、子のためにチンするごはん、そして母のために辛ラーメンは外せないのだ。




こんなに移動したのも久しぶりで、本当に疲れたけれど、翌朝の景色を見たら、わざわざやって来た甲斐があったなと。感謝でいっぱい。




フィリピンには初めて行ったけれど、あちこちで人々の優しさに触れた。帰りのフライトに間に合うか不安だったので、一日早く田舎のホテルをチェックアウトして、本当のセブ島(でもそこは正式名称マクタン島...)で急遽一泊することにして、本当のセブ(しつこいけど正式名称マクタン島)も見れたし。前日に次の日のホテルが取れるなんて、インターネット万歳である。



そしてインターネットと言えば、フィリピンは 7,000 以上もの島で構成された国である。これ、インターネットのある今の時代だからまだやり取り可能だけど、インターネットのなかった時代はどうしてたんだ?!という疑問が... 。こういう国をマネージするのは大変だっただろうな...



最後の夜に、たまたま Google マップで見つけたレストランが、文字通り豪華なリゾートの中にあるレストランで、食事だけしに行ってきた。まるでディスニーランドの如く立派な施設に驚いた。フィリピンにとって、観光業で賑わうのはきっといいことだけど、見ていると、なんだか先進国から来た人間がお金を使い、美味しいものを食べ、いい思いをするために働いてもらい、一歩でもリゾートから出ると、変わらぬ貧困が目に飛び込んでくる... それは避けられない。



資材が届かず永遠に建設中なのか、キャンプのように暮らす人々。窓ガラスか屋根がない中、慎ましく暮らす人々の集落に対し、間違ってもカメラなんて向けられなかった。それは、フィリピンの至るところに広がる光景だったが、見る度に胸が痛んだ。今夜、本当のセブ島のリゾートにいて、こういう風にサービスしてもらうのも、なんだか uncomfortable な気がしてくる。そう思うのも、日本やフランスや韓国... いわゆる先進国から来た人間の、こちらの勝手な「おごり」で、偽善者気取りになるだろうか...



どうにかして、もっと富の分配が上手く行き渡らないものか。これからの政治に期待したい。フィリピンを巡る貧困の背景については、滞在中もいろいろと調べ、読み、勉強したつもりだけど、うーん。スペインとアメリカは罪深い。そして日本も一口噛んでいる。そしてこれだけは言える。教育は無茶苦茶大事である。




~ 今回の学び ~


セブ島に行く際は、島をお間違えなく😇



現場からは以上です。





 
 
 

Dernière mise à jour : 11 févr. 2025


先週、ソウルは極寒でした。最高気温がマイナス 2 ℃という日もありました。私は思わず目をこすりました。でも紛うことなく、そこにはやはり「さいこう マイナス 2 ℃」と書いてありました...。あれ以上寒くなったら凍ってしまうかも...。こちらはいよいよ旧正月というタイミング。今年もよろしくお願いします。



へび年、上の姪っ子が年女。あれからもう 12 年経ったなんて... 信じられない。




年末年始は、子と二人で日本へ。実家に行くのがこんなに近かったことなんて、未だかつてあっただろうか、否、ない...!!という感じで、まったく素晴らしかったです。最低でも 13 時間かかるフライトに対し、2 時間未満とは... 両目から鱗が落ちたぜ。ちなみに行きも帰りも同じく里帰り中の某歌手と一緒になり、『同じスケジュール!!😂』とちょっと面白かった。



子は 10 日間も日本で過ごしたので、さらに日本語が戻ってきてくれて、私は嬉しい限り。父も母も、子のためにゆっくり、綺麗に話してくれているのに、私は気づいていたよ。両親のそんな気遣いが、さりげなくて暖かい。感謝。



実家では、いつも和室のお布団で寝ているのだけど、実家のお布団の中で、久しぶりにぼぉっとして、ゆっくりした時間を過ごしていたら、気づきが降ってきてくれた。


前回告白した通り、あんなに大好きだった書が苦しくなってしまい、もしや何も書けないみたいな気持ちになっていること。自分の体力の無さと、不器用さのせいなのに、思うように書に対してエネルギーが捧げられないこと。振り返ると 30 歳になった年に、勤めていた会社から突然の戦力外通告をされて、放り出されて、パリで、個人の力で生きて行かなければならなくなり、右往左往した結果、フリーになることを選び、出来ることを我武者羅にやって、なんとか繋げてきたこと。


33 歳で子を授かって、妊娠糖尿病になりつつも、翌年無事生まれてきてくれたこと。そしてそこからの、想像以上だった子育ての大変さ。東京への引っ越し、新生活。コロナ勃発。新しい生き方の模索。



2 年半後、フランスへ戻る。子は幼稚園入学、家のトラブル、とんでもなく大きな仕事を任してもらえた、新しい家へ移る。やっとこれで順調かも... と思っていたら、コロナ後にやって来た経済危機の波に見事にもまれ、日本との仕事、フランスでの仕事が、立て続けに全部終了になる。困る。出来ることを粛々とする。3 年後、40 歳。韓国という新しい道へ... ←今ここ



という感じで、ざっと思いつくだけでも怒涛の 30 代だったように思う。うん、濃いよね?!ロールモデルがいなかったし、今もいない。ちなみにここには書けないけど、もっと辛いこともあった。(あ、こういうことこそ全部ちゃんと小見出しを付けて、箇条書きにすればよかった...)




こんなに激しく、大変だったのは、きっと自分のせいなんだろうと、自分を責めて、ずっと罪悪感に苛まれていた。そういう思いを抱えていても、目の前の子育てというものはストップが効かないし、落ち着いて考える余裕さえなかった。


今まで自分のことはタフだと思っていたけど、上記の仕事が全部終了になった際には、本当に参った。夢のようなチームで働くことはもうないのだと思うとさみしかったし、コロナを憎んだ。



だけど、実家のお布団の中で、なぜか冷静になれた。『いやいや、誰がどう考えても怒涛の 30 代だったでしょ... 少し燃え尽きて、当然当然』。やっと悩んでいた自分を、肯定することが出来た。それは、長く暗いトンネルをやっと抜ける手前まで来た、という感覚だった。



おかげで、これからの 10 年もまた走り抜けられそうな気がしている。日本という暖かな Home でゆっくり過ごせたおかげで、最高のリフレッシュが出来た。"リセット"とも言えるかもしれない。感謝しかない。



振り返ると、辛いこともあった 10 年だったけど、辛さを覆すくらい幸せなこと・楽しかったことに恵まれたなと、自信を以って言える。


学びはしっかり噛みしめるとして、明るいことだけ記憶していたい。あと私は、生き急ぐ傾向があるので、ここいらで少しペースを落としたい。




今年は、ようやく念願だった絵を始めたいと思っています。ソウルでの画材屋さんもどこか分かったし、私がやりたいのは、アクリル グアッシュ画だということも分かった。(本当は油絵がいいのだけど、環境的に難しそうなので)



フランスからコンテナーで送った荷物は、まだ届いていない。トラッキングによると、2 月 1 日にようやく釜山港に到着予定、だそうである。本当だといいけれども... ちなみに 11 月中はずっとル・アーヴルの港でストがあって、積載出来なかったんだって☆ いかにもおフランスらしいエピソードである。。。



荷物が届いたら、道具を揃えに行って、家の中にアトリエを作りたい。書も出来るようにしたい。夫は夫で、自分のアトリエを作りたいと言っている。(彼はフィギュアを塗るので...)




最近、週末の度にソウルの美術館やギャラリーをちょこちょこ訪ねていて、またアートに触れる旅が始まった、そんな予感がしている。ソウルには、伝統的な部分とポップアートを見事にミックスしたような現代アートが溢れていて、今見たいものの気分にも合っている。韓国のアーティストについても、まだまだ知らないことばかりだ。



なんだかこの 15 年程、デジタルの仕事をしている時以外、アトリエに通ったり、ギャラリーに顔を出したり... 時々は真面目に製作をしたり... いや、ただパリの街並みを歩いたり、ヨーロッパで息をしていただけでも、それはまるで、壮大な美術の勉強を、長い長い時間をかけてやっていたような気がする。あちこちで名作を鑑賞する機会も得た。



いつからか、何を見ても感じなくなってしまった、硬く閉じた自分の心を、解きほぐすことが出来たらいい。アウトプットするためには、インプットが必須なわけで、もの凄いエネルギーを必要とするけれども、今の少しわくわくした気持ちがあれば、春にボールが地面を軽快に跳ねるみたいに、またいい方向へ向かって行けるような気がしている。



自分の弱さ、体力の無さ、不器用さ... 嫌だなぁと思うけれど、すべて「肯定」してあげたい。どう繕っても、それも全部、自分自身なのだから。


初めて知る「肯定」には、強いパワーがあるみたいだ。




Again, I wish you happy 2025☀️


 
 
 

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