- Mari Okazaki

- 16 mai 2021
- 7 min de lecture
Dernière mise à jour : 16 mai 2021

そんなこんなで、無事フランスに帰ってきて 2 週間が経った。簡単に言って疲れた!東京のマンションを退去すると、すぐに保育園に直行して子をピックアップ、そのままタクシーで羽田へ。羽田のホテルに泊まる。と、翌朝フランスへ(その間スーツケース計 7 個にベビーカーだぜ)という、大荷物の強行スケジュールでした。すっごく疲れたけど、元気です。
私たち家族は 4 月の終わりに日本を発ったのだけど、その時点で日本からフランスへ行くには、①出国前 72 時間以内に行った PCR 検査の陰性証明書(英語)と、②フランス入国とその後に関する宣言書の記入が必要です。後者は、出発前、日本の空港内の航空会社カウンターでも提示を求められます。
こちらのページから仏語版と英語版をそれぞれダウンロードすることができます。「日本から」を選ぶタブが見づらいと思うので、気をつけましょう。(私はあやうく見過ごすところだった)
ちなみに PCR 検査は自費で受けなければならず、なんと驚愕の 38,500 円もかかった。さんまんはっせんごひゃくえん。太字にしたいくらい。3 月に一度、子が高熱を出したので、病院で一度 PCR 検査を受けて、その後お母さんも念のため、、、と、いつものかかりつけ医の奨めで受けたことがあって、その時は無料だったのに!海外へ出国する際はこの金額である。気をつけようもない。なのでクリニックへは覚悟して行かれることをおすすめする。。(夫の同僚の話によると、羽田空港内のクリニックではもっと安価に受けられるそうなのだが、未確認。)
機内も全部で 30 人くらいしか乗っていなかった。約 12 時間の、久しぶりに長い長いフライトを過ごした後、空港にほとんど人がいないのと、日本からの入国だったので、フランスの税関でも 1 分も待たず、とてもスムースだった。この時にもまた、前述の宣言書を提示しないといけない。それには、あくまでも「任意」だが、到着後 7 日間の自粛生活を行うことと、7 日が済んだ後、PCR 検査を再度受けて、陰性であることを確認することが求められている。
私たちは到着後、すぐにパリ郊外にある夫の実家へと向かって、そこでそのまま 9 日間程過ごした。幸い、私たちが帰国する前に、義理の両親はワクチンの第一回目を打ち終わっていたので、少し気持ちが軽かったのでありがたい。
心配したのだけれど、結局誰からもちゃんと私たち家族が隔離生活を送っているか、家にいるのか、検査の電話はかかって来なかった。ほ。
義理の両親の自宅は、近代的なレジデンスの地階にあって、テラスと斜面になった庭がある。そのおかげで謹慎中、公園へは出かけられなくとも、子はテラスでボール遊びをしたり、お花に水をやったりと、親も子もストレスなく過ごすことができた。感謝!!
日本から帰ってきた私たちを受け入れてくれて、子とも遊んでくれ、フランス語の童謡をステレオで聞いたり、おもちゃで遊んだり、食事も用意してくれ、私はすっかり甘えまくってしまい、義両親には本当に感謝している。(余談だけど、義母はイタリア生まれなので、料理はいつもどこかイタリア風とフランスの家庭料理のフュージョンという感じで、美味しい〜!)

東京では鼻腔か唾液か選べたが、フランスでは選べず、一択のみ!上を向くと両鼻に見事ぷっさされて苦痛の 10 秒間を終えると、当日夕方にメールで陰性の連絡が来て、無事に自粛生活が終了した。
人との会話や飛沫感染を避けるために、コロナ対策で設置されたのだろうか、ラボでは住所等を入力するマシーンが 2 台も導入されていた。私たちがいなかった間に、フランスも(少し)進んだようである。義父も、「日曜日でも買い出しに行けるよ。フランスも進化!」と明るく言っていたし。(可愛かった)
それからは、同じ県のまた別の街にある自分たちの家へと戻る。しかし、義理の両親の家の中、ガレージ、カーヴに入れさせてもらっていた荷物や家具を運び入れるのに、ざっと往復 2 回。久しぶりの運転と引っ越し作業で夫は疲労困憊。それから自分たちの家のカーヴからもごそごそと運び出したり、前回の引っ越し後にしまっていた段ボールなど、華麗にえいや!と捨てて、フルでいっぱいだったカーヴに、またスペースが誕生。1 時間精力的に作業したので、夫にも褒めてもらえた。やった。
カーヴというのは、アパルトマンの地下にある、ちょっと牢獄みたいな地下倉庫で、ワインを寝かせておく人もいれば、大抵の家庭は物入れとしてフル活用している。賃貸でアパートに住む場合はカーヴまで貸してくれることは少ないと思うのだが(大家さんの荷物でいっぱいなためw)、いざ持ち主になって、カーヴがあると、パリのみんなが憧れるような古い可愛いタイプのアパルトマンの中には収納がてんでないので、カーヴがあるとそれはもう大変助かります。うちも典型的に、その例に...。
今のカーヴは入り口からもほど近く、少し湿ってはいるが明るく、気持ちのよいカーヴだ。本当は写真を撮ってお見せしたいところだけど、万が一何かが映ったら怖いのでやめておく。日が差している間は「えいや!」と勇気を出せば一人でも行ける、気持ちのよいカーヴ(と自己暗示をかけている)だけど、やはり夜 11 時なんかには間違っても行きたくない。日中でもやっぱりちょっと怖いので、iPhone で某 BTS を大音量で流しながら作業したのは秘密である。
ちなみに、数年前、同じアパルトマンに暮らすシュミットさんという、ワイン愛好家の方のワインコレクションがすべて盗まれるという衝撃事件が発生した。やはり気をつけておかないと、フランスはとってもワイルドな国である。しかも怖いのは、おそらく内部犯でしかありえないということだ。悲しい。
家が整ったら、次の日曜日にはすぐに、同じくパリに住む妹に会いに行った。妹にも、しばらく会っていなかった。過去 2 年程、妹家族は今話題の武漢に住んでいたのだけど、2020 年の 1 月にコロナの脅威が増すと、旧正月で出かけていたバカンス先のベトナムから着の身着のまま、韓国経由のパリ行きフライトを会社が手配してくれ、真冬のパリへと辿り着き、そこからパリ市内のアパートホテルや、またはノルマンディーの海辺の町や義両親の家を転々とし -- それも子ども二人を連れて -- 加えて、共働きの、絶賛リモートワーク。凄過ぎ...。簡単に言って、私よりも 100 倍しっかりしている、頼もしい妹です。
会えなかった間に、姪っ子もすっかり大きくなっていたので、時の流れを実感。子と 3 人で仲良く遊んでくれたので、大人はランチに専念できて大助かりだった。私は義弟と牡蠣 12 個食す。いえい。
子はお姉さん二人と一緒に、少し離れたところにある子ども部屋で、プラスチックビーズのアクセサリー作りに熱中していた。それから、おもちゃのアイスクリームをせっせと作っては、大人のテーブルまで持ってきてくれる。私もいろいろもらう。かわいい。
ある時に、妹が爆笑して戻ってきたので、何事かと思うと、
「ヨーちゃん(私の子)が、濃いピンク色のアイスクリームを作って、『はい』って渡してくれたんだけど、普通フランスの子は『フランボワーズ(ラズベリー)味だよ』って言うのに、『梅干し味のアイスだよ』って!!かわいいい!!」... 爆笑の理由も納得だった。
子は和よりも洋が強い顔立ちなのだけど、子は二年間、東京の保育園でしっかり育った結果、日本語ペラペラ、そして納豆、焼き魚が大好きになった。素晴らしい。まぁ誰しも、見た目やバイアスで判断するのはよろしくないが、そんな子のギャップが私は大好きで、誇らしいのだけど、梅干し味のアイス発言には驚いた。そーだよね、この濃いピンクは、日本人には梅干し味だよね。うんうん。
早速家族の LINE で、日本にいる両親に報告。「ヨーちゃん、いつまでも日本語忘れないで、いつまでも梅干しヨヨでいて」と、初の日本語ネイティブ(今のところ)の孫が登場したので、両親は嬉しくてしょうがない様子。しかも、待望の男の子だったしね。
ということで、このままフランスに暮らせば、すでにすごい勢いで上達したけど、きっと子は、どんどんフランス語が上手になり、そのうち学校に通えば日本語はどこか隅に追いやられてしまう日が来るだろう。いくら家の中では、いつも日本語で話そうねと約束していても。
それは、仕方のないことなので、私は子を責めるつもりはない。そもそも日本語という言語が、一体どのレベルまでマスターするか、会話だけでいいのか、読み書きは一体どこまで?じゃあ漢字は?という果てしない世界なので、まだ何も決められていないのだけど、「いーい?ママとはいつも、日本語で話そうね、ヨーちゃん」「いいよお!」と即答してくれたのを、私は一生忘れないであろう。かわいい記憶として、いつもしっかり抱きしめていたい。
いつか、濃いピンク色のアイスクリームを見て、自然と「フランボワーズ味だ」と言うようになる。梅干しのことは忘れてしまうだろう。少しさみしいかもしれないけど、それはヨーちゃんの成長の証であって、心から喜んであげたいと思う。





