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KOMIDASHI WO TSUKERO

このページではニュースや私 Mari Okazaki が日頃考えていることをお伝えします。

I will mostly address in Japanese or English on this page - apologies!

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  • Photo du rédacteurMari Okazaki

新年、おめでとうございます!今年もよろしくお願いします。今年こそパンデミックが終わって、元の穏やかな日々がやってきますように。それまでもう少し、健康と笑いに溢れた、楽しい日々が過ごせますように。


今年の目標は、「過去の自分を凌駕しろ」です。ということで、少し前にこれを作りました。




あとはまた運動を... ワークアウトを頑張りたいです。


書関係では、うまくいけば 2 つ、大きなニュースがあります。もう少しでお知らせできるといいのですが...


皆さんの今年の抱負は何ですか?☺️

  • Photo du rédacteurMari Okazaki

夏前に撮影した写真が、先日、また My Little Box のインスタグラムに掲載されました!

写真はもちろん、才能溢れる我がパートナーのキアラさんです。


ありがとうございました。使っていただいて、本当に光栄です。




合わせまして、ジェルブレの新キャンペーンも先日より公式アカウントにて始まっております!ご覧いただけると嬉しいです。


こちら↓


ジェルブレ公式インスタグラム





撮影裏話・これは実は私の手です😂

  • Photo du rédacteurMari Okazaki

Dernière mise à jour : 6 janv. 2022



定期的に Facebook などでつぶやいていたので(悪態ついていたと言う方が正しいと思うが... )、夏からちまちまと通い続けていた、計 4 回に渡るフランス共和国統合研修(通称・移民研修)が無事終わりました。肝心の滞在許可証がもらえるのは、いつなのかまだ全然分かりませんが.......


初回はパリの南、モンルージュにある会場へ集められて、マクロン大統領が腕を組んで誇らしげに写っているあのポートレートが飾られた部屋へ入れられると、まるでジム帰りのようなラフな格好の男性職員から説明を受けて、いきなりフランス語のテストが開始。


「前の職場の同僚から来たメールへ返信せよ」という作文もあり、私は夏に転職したばかりで、転職先が全員 20 代の新卒もしくは 30 代前半で Z 世代の洗礼を毎日受けている夫をインスピレーションにして、書かせてもらったよ。「なかなか馴染めないけど、楽しくやってるよ」とか書いた。当の夫は初日を終えると、青い顔して「もう俺らはシニアなんだ...」とも言っていた😂


フランスはテストの際、20 点満点のことが多いが、こちらのテストもなんとか 20 点満点で、ほっ。これにより、語学研修は免除され、別室で個人面談を受ける。


ここでフランス語が十分でないと判断された者は、数 100 時間に渡る語学研修を受けなくてはならないらしい。ある意味親切な国でよかったというか、執拗というか...w


個人面談の後は、健康診断。優しい国である。この時、上半身のレントゲンも撮られたんだけど、昔からだいたいフランスではガウンを着せられることなく、個室の中で裸で待たされますw


病歴などもお話しして、なんと無料で B 型肝炎や HIV のテストなども受けることができた。ありがとう、おフランス。




初日が終わると、次は最寄りの県庁へ送られて、計 4 日間の市民研修を受けなくてはならない。"市民" 研修って、名前が...!日本って、ある意味フランスよりよっぽど民度高い国だけど... ある意味差別なく、みんな平等である。しかしこれがきつかった!


まずは、一般教養の簡単なテストである。なんと一問目が、




「カマンベールチーズは、どの地方で作られていますか?」


・ノルマンディー

・ブルターニュ

・イル=ド=フランス(パリ近郊)




だったんだからー!!😂


それ、そんなに重要か...?真顔で回答言う講師も、笑いたくならないのだろうか。私はこの設問を目にした時、マジで吹き出したけど...

ちなみに第三問がこちら。



「フランスのサッカーチームが W 杯で優勝した回数は?」


・0

・1

・2




それ、そんなに重要...?(二回目)


この問題作った人、サッカー好きなの?w 私は、サッカーのことになると血がほとばしる夫と暮らしているのだよ...




かなり脱力した後、フランスの地理、面積から始まって、フランス革命や宗教分離、EU での位置付け、市町村の数などについてしっかり勉強させられると、久しぶりに高校の世界史の授業を受けているような気になった。決して世界史は嫌いではなかったので、苦痛ではなかったけど、本当久しぶりに「ナントの勅令」とか、「ロベスピーエル」って名前とか聞いたよね。ロベスピエールくんは、当時上から 2 番目の高貴な身分だったのに、「一般市民ばかり血税を払うのはおかしい!」と叫んで、身分による差別を正そうと革命を起こそうとするも虚しく、断頭台の泡と消えた人である。なんと可哀想な...



「いい国作ろう鎌倉幕府」的に、フランス人なら誰でも知っているマリニャーノの戦いは 1515 年で、夫は、「もしメトロの中で "マリニャーノ!"と叫んだら、絶対車内にいる誰か一人は「キャンズソンキャーンズ!(1515 年!)」とすぐに反応して叫ぶだろう」と言っていた😂 残念ながら、これは授業では習わなかった。



他に私が誇る、マニアックなフランス史実として、モリエール先生の本名を知っているであります。ふふん。


その名も、「ジャン=バチスト・ポクラン」!!なんとモリエールは、stage name だったのだ😂 ていうか、ポクランって... 時々フランスには、気が抜けてしまうようなかわいい苗字がありますです。「シャポタン」という苗字の友達もいる。かわい過ぎる。



日本の高校で習うようなことをここにいちいち羅列してはキリがないので、今回の移民研修で新たに知り、ほほう〜と思ったことを書いておこうと思う。



  • フランスで就学している子の親がフランス語ができない場合、子の学校に連絡して、語学研修を受けることができる。


  • フランスでの女性の参政権は、戦後の 1945 年に成立した。意外と最近である。その後、1965 年になって、やっと女性の働く権利及び銀行口座開設が認められることに。1970 年には、母親でも学校でもらう子どもの公的書類などにサインできるようになった。


今は女性周りの法制度が整ってそうに見えるフランスでも、いろいろな運動や声を上げる人がいて、紆余曲折を経て、今に至るのである。エモい。特に、2017 年に亡くなったシモーヌ・ヴェイユだ。彼女はユダヤ系の家に生まれたため、16 歳の時にナチスの強制収容所へ送られ、なんとか生き延びてパリに帰ると、政治学院へ進み、政治家となった。大の親日家だった、日本人にはお馴染みのシラク内閣の際に厚生大臣となり、 1975 年に女性に中絶可の自由を与えた人であり、女性初の欧州議会議長も務めた人である。死後の 1 年後にはパンテオン入りが決定し、メトロの駅では、彼女の名を付けるものも出来て、一時ブームが起きたのは記憶に新しい。


パリの地下鉄の駅名になったシモーヌ・ヴェイユ

没後1年の「大ブーム」の陰に、大揺れの EU の救世主になってほしいという願望



まだ少し続けます。


  • フルタイムの CDI(正社員契約)のみ、紙の契約書がなく、口頭でのやり取りでもよい。なぜなら、給与明細があるので契約を証明でき、守られているので。


これは、昔の同僚(ちなみにイギリス人で、70 年代にフランスへ来た人 )で、彼女は管理職だったけど、ふとした会話で


「私?契約書持ってないわよ、でも大丈夫。給与明細があるから☆」


と言っていたのを聞いたことがあったので、『あれは本当だったのかー!!』と驚いた。学業を終えてから、一番最初の職に就くのが難しく、慢性的に失業率が高いフランスでは、誰もが羨む CDI(正社員)契約であるが、まさかフルタイムだと、口頭でもいいなんて...!目から鱗である。でもやっぱり、PDF でいいから、ちゃんと書かれたものを持って安心したいものである。


その他、知ったことと言えば...


  • 4 本指を見せるサインは、「暴力を受けているが事情により助けてと言えない人」のサイン。すぐにしかるべき場所へ電話をすること。


  • 女児への割礼は禁止されており、もし行った場合、法律により罰される。バカンス中などに、海外へ送って実行してもらうことも禁止。


  • 現在フランスでは、どんな仕事でも性別に関係なく就業することができる。


学校でのライシテ(無宗教性)についても、かなり詳しく教わった。


  • フランスでは、親が子に対して特定の宗教についてバイアスを与えてはならない。

  • 学校では、どんな宗教的なモチーフも身につけてはいけない。(公務員も同様)


  • フランス国旗は必ず左から青、白、赤の三色の順番で、白は貴族制を表す。(なんで残したんだー。王政を倒したかったから革命起こしたんじゃないんかーい✋)


  • フランスの基本理念は、有名な「自由、平等、博愛」だけど、この「博愛」という言葉の意味は、「皆、同じ人間だからいたわる。病院でも受け入れて、診察する。それは人種に関係なく、ビザなしの人でも診察する。外国人だからといって、フランス国土内で決して死なせない」だと、講師が言っていた。(PASS という、公立病院での医療費が無料になるシステムもあるそうだ)


  • 個人の「自由」は、他者のそれが始まるところで終わりとなる。


と、細かく言い出すとまだまだあるけど、ざっとこんなところだろうか。


これらの知識を得て、(小声でしか言えないけど)私はちょっと、またさらにフランスのことが好きになる思い。子ども部屋の壁の工事は、依然解決していませんがw



 

という感じで、これでもかと言うほど、3 日間みっちりとフランス史や社会倫理について勉強した。真面目な私はきちんとノートも取った。そして最終日の最後、講師の言葉に愕然とした。なぜなら、


「最終日は、皆さん、どれか選んでもらいます。えーと、①フランスでの仕事探しをお手伝いするワークショップ、②パリの美術館やロワールの古城を巡るバーチャルツアー、③手に仕事を付けるべく、クロワッサンやパンオショコラ作り、のどれかです。」


は?


今、クロワッサンって言った...?😂


そして彼女は毅然と続けたのだ。「どれも、日程も残数も決まっています〜。ちなみに仕事探しは、もう全て予約で埋まりましたので、どちらか 2 つから選んでください。」



これを聞いて、フランスでの職探しを手伝ってもらいたがっていたアフリカ勢は怒り心頭。「ケーキ作るために来たんじゃねぇ!」、そんな声も聞こえてきた。もっともである。そして検索の会社を辞めて翌週からすぐに元のフリーランスへと戻り、おかげさまで働いている私にとって、クロワッサンを作るために 11 月の 1 営業日を失うのは余りにも痛い。痛過ぎる...(いろんな意味で)



アートが大好きなので、バーチャルツアーにしようかと思ったけど、ロワールの古城巡りももうオフラインでしたことあるしで、本当に面倒くさかったが、なんとクロワッサン作りに行ってきた...。それが昨日のこと。



しかも朝 8:45 に、ここよりちょっと治安の悪い隣町へ招集させられて、窓が開きっぱなしで暖房のない寒いキッチン、しかも全員分の椅子がなく、三人妊婦がいたので、私含めて 9 人はほぼ一日中立ちっ放し、椅子はそのうち 2 脚壊れている... という、決してよろしくない環境の中、外国人ばかり 20 人が集められて、ダウンとかコートを着たまま(!)、なぜか予定とは違うサブレとチョコレートを作ったのである😂 パンがよかったよ!


下の写真で、私たちが必死になって作ったサブレ(夫によると小学生レベル)をご覧ください。タメ口でギリギリのジョークを飛ばす講師のおっちゃんは、「これはメディチ家から伝わったレシピで云々」と誇らしげに言っていた。肝心の味の方は、なんと "味がないという味" でした。驚愕...



私たちのチームの目の前では、マリ人の男性とインド人男性、バングラデシュ男性のチームがいたのだけど、インドかバングラデシュの男性のどちらかがプロのパティシエらしく、それはもう素晴らしい動きに、作業が終わるときっちりと布巾で掃除をして... 対岸から感動したね😂


ちなみに私のチームは、カメルーン人の男の子にエチオピア人の女性、それからコートジボワールの女性からなる混合チームでした。フランス語が母国語のアフリカ人はいいよねぇ。アフリカ人は本当に明るくて、もちろん中には無口で寡黙なタイプの人もいたけど(当たり前である)、隙あらば冗談言って、笑っていて、本当に陽気だと思った☺️


このカメルーン人の男の子(フランスに来たばっか、まだ 20 代)に、しつこく「寿司を作ってくれ。家に呼んでくれ」と言われたのだけど、『君、私が "37 歳 既婚 子持ち"って、分かってないだろ...』と叫んでやりたかったのを書いておく。



 


話は戻るが... 先の市民研修中、部屋の中には数人のアフガニスタン人と、パシュトゥール語の通訳がいた。時期が時期なので、彼らがこうして無事フランスへ来ることができてよかったと人ごとながら心から思うし、どうかこれから彼らがフランスで暮らす生活が、安泰で、幸せなものになりますようにと願わずにいられない。


通訳の男性が、研修の一番最後にした質問と、女性講師の返答が忘れられない。


「マダム、低所得者住宅は、紹介されてから何度断ることができますか?」。どうやら、パリ近郊にないので住みたくないらしいのだ。講師は、


「仕事はしてるの?通勤に不便だから断りたいというわけ?もしそうでなければ、絶対に断っては駄目。仕事に関する理由じゃないと、新しいものはもう紹介してくれないわよ。絶対に受けて。そうじゃないと、路上で暮らすことになるわ。こないだまさにそういうケースがあって、慈善団体に電話したところなの」


これを聞いて、私は不安と恐怖で唖然としてしまった。せっかくこうして戦争のない国、一応は豊かで生活していける国・フランスへ入っているのに、路上生活になってしまうとは... 博愛の国じゃないんかい。とも思うが、まずはよっぽど治安の悪いエリアでなければ、そこに住む方が正解のように思える。仕事の目処が立てば、いくらでも住み替えていけるのだから。


と同時に、自分がどれだけ恵まれた環境にいるのか、思い知らされた。



アフガニスタンについては、夏に激化してからかなり心を痛めていて、ユニセフを通じてアフガニスタン女性のために募金しよう、しようと思い続けては、忙しさにかまけて置き去りになっている... 早くしなければ。



 

屋根(家)があり、家族もいて、幸い仕事もあり、私はフランスで自分の居場所を見つけた。"ホーム" と呼ぶには辛いことも、理解できないこともある。けれど、これはこれでとても幸せなことなのだ、感謝して過ごさなければならない。そのことを忘れずにいたいと思う。


呆れたり、脱力したり、憤ったり... いろいろな感情がよりめき動いた移民研修だったけど、しばらくはまた再び、この地で外国人として生きていく。



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