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KOMIDASHI WO TSUKERO

ニュースや日頃考えていることなど

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  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 14 nov. 2024
  • 9 min de lecture

Dernière mise à jour : 23 nov. 2024


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偶然にもハロウィンの夜に韓国のソウルに引っ越してきて、二週間が経った。決して、私の K コンテンツへの愛が溢れて引っ越したのではない。いつか人生に疲れたらソウルに語学留学してみたい... ともぼんやり考えていたが、残念ながら語学留学ではない。突然、「生活」が始まったのである。



実は今年に入ったくらいから、夫の仕事で、シドニーか、はたまたドバイか、いやソウルかも?という感じで話が浮上し始めて、正式に決定したのが、6 月のこと。その間、ずーっとドキドキして、落ち着かない日々を過ごし、ソウルに無事決定してからは、真面目に韓国語を勉強し始めたりと、私なりに準備していたのだけど、おそらく 20 年ぶりくらいに、言葉が分からない、未知の世界に足を踏み入れてしまった。



「日本語と韓国語は似ているので、勉強しやすいよ」とはよく言われるものの、体系的に見て、確かに似ている点は数多くあれど、何と言っても私を苦しめるのは、ハングル文字である。


この数字が苦手な私には、だいたい全部同じに見える...!母音を見間違えるなんてザラ。しかし、15 年くらい、毎日 K ポップを聞き、Netflix で韓国ドラマもいくつか鑑賞してきたので、よく聞くフレーズならなんとなく分かる、という、よくあるレベル。なので、聞き取りというか、何となくニュアンスは理解できても、会話する能力がほぼ 0 に近いので、連日おかしなことになっている。


スーツケース大 4 個と小 1 個に、MacBook の入った重めのリュックサックに、かばん... そして一番大事な、6 歳の息子。そんな状態で仁川空港に着いて、フランスから予約しておいたドライバーさんがいない!などのハプニングもあったけど、行きの車の中で、ドライバーの男性が Papago アプリを通じて、いろいろ会話してくれる。


「旅行ですか?」「いえ...」ろくに話せない、もしくは悲しくも英語で返す私を見て、彼がアプリに放った返事を、私は理解することができた!


「え、韓国語は全然分からないわけ?w」


『ほんのちょっとなら分かる〜!けど、どう喋ったらいいのか分からないし、まだちょっと恥ずかしくて☆』


と言いたいところだったけど、"Just a tiny bit, hahaha..." としか答えられなかった。悲しみ。お前も Papago 開けよ... という感じかと思いますが、疲れ果てて、せっかくレンタルした Wifi にもまだ繋げていない。悲しみ。



先に現地入りしていた夫は、なんと地方にて研修に参加していたので、せっかく家に着いても不在、という辛い現実。荷物を置いて、ざっとこれから住む家の中を見て回ると、時刻は夜の 8 時半。子と一緒に、今まで何度も、Google マップで見ていたメイン通りへと繰り出す。とにかく何か食べなければ。少し歩いて、目についた日本式居酒屋に入ることに。機内ではビビンバ食べたから、許して欲しい。



という感じで、フランスの家から船便で送った荷物が届くにはまた数ヶ月かかるし、家の中には「ミニマリスト目指してるの?」という感じで、絶賛足りないものだらけの中、ソウルでの突然の生活が始まった。なんとか調整して、木曜日の夜着、金土日と長い週末を過ごし、月曜日の朝 8:20 には、子は学校へ...!という、強行スケジュール。子も新しい友達が出来つつあり、何よりである。



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多くの日本人と同じく、今まで東京からソウルへ三連休の際に遊びに来たり、乗り換えで使ったりと、過去 5 回くらいは韓国に来たことがあるのだけれど、逆を言うとこれまで 3 泊以上過ごしたことはないわけで、まったく初めて韓国で生活することになった。


街並みは限りなく日本に似ているけれど、全然違う...!よく言われる "Same same, but different" を痛感している。今回、気づいたことを下記に書いてみようと思う。(小見出しを付けるぞ... !)




  1. ゴミの分別が複雑過ぎる件



私は瑞草区というエリアに住んでいるのだけど、ゴミの分別を理解するのに費やした時間、またゴミ箱とのサイズの兼ね合いと言ったら... 今でも解決していない。


厚紙・プラスチック・ペットボトルなどのリサイクルゴミと、ワインなどの空き瓶、そしてその他家庭ゴミ、くらい 3 つの分別しかないし、指定のゴミ袋だってないおフランスに比べたら、(少なくとも)こちら瑞草区の、私たちが住んでいる建物では、


  • 生ゴミ・食べ残しの食料(骨、種、根っこなどを除く)は青い袋に

  • 厚紙

  • プラスチック

  • その他一般の家庭ゴミは白い袋に(もしくはスーパーでもらえる紫の袋に)


という感じなのである!ちなみに、ご丁寧にも日本語で書いてある区によるこちらのページとかも読み漁ったのだけど、いまいち理解できず、韓国人の友達にも聞いたりもしたが、「区やマンションによって違うから、上手く説明できない...ミアネ!」という返事であった。


上の箇条書きで、袋の色について明記していない場合、直接、建物下にあるゴミ箱に入れればいいので、特に指定の袋がない、という感じ。


そして紫の袋だが、始めこれが何用なのか分からず、区のページでは「再使用袋」と書いてあるし、『リサイクル用ってこと?』と間違って理解していた。道で捨てられているゴミを見つめてみても(やめろ)、中にオムツとか入っているし、『はて?』という感じで。


さらに驚いたのは、ソウルはなんと 18 時以降・深夜にゴミ収集が行われるらしい!なので、『ゴミ置場に出すのも 18 時以降限定なのかな?現に、同じ建物の女性とすれ違ったのも夕方だったし... 』と思っていたら、こういう集合住宅に住んでいる場合は管理人さんもいるので、やっぱり常時出していいそうで、ほっ。


一般ゴミ用の白い袋だけど、最初の週末で買った IKEA のゴミ箱のサイズと、合わない... という、悲しい状況が発生中。5 リットルサイズが欲しいのに、近所のスーパーで、白いのは 10 リットルからしかないと言われたよ。そしてこのスーパーで、じゃあゴミ袋を買おうと思っても売り場に売ってない。みんなどうしてんの??と、仕方なく夫がコンビニに買いに行ってくれてたのだけど、数日後、謎が解けた。なんと、ゴミ袋はレジで、レジの人に言って、買うという仕組みだったのである。売り場にも置いてくれよ〜!!


箇条書きの 1 番目、生ゴミ・残った食材のゴミ(青い袋へ!)ですが、これはなぜ一般ゴミと一緒に捨てないのかというと、なんと、特別な加工処理をして、家畜の餌へと利用されるらしい...!これには感動。素晴らしい仕組みだぜ。これを知って以来、きちんと分別するようにしている。しかも動物が喉に詰まらせちゃうかもしれないので、骨や種、根っこなどは別にしなければならないけどな!私、どうぶつ、好きだから... 分別頑張るよ。



  1. バス・電車などの交通費以外、安いと思えるものが皆無!



噂には聞いていたが... ソウルの物価、どうなってんの?!確かに、住んでるエリアのせいもあると思う。パン屋さんのカフェでは、いかにも富裕層のマダムたちが午前中から集まってお茶しているし。しかし、近所に唯一ある前出のスーパーへ出かけた時、私は度肝を抜かれた...!『何この値段?!』てなものばかりなのである。


全部書き出すとキリがないので、交通費以外、安いと思えるものが皆無、とだけ書いておこう...。子とカフェに行っても、『え、今 2500 円した...?!』という感じで、物価高に追い討ちをかける円安よ...。じゃあユーロで払えばと思われるかもしれないが、年収低下と、おフランスの家のリフォームをいろいろしたこともあり、昨今、私はユーロが少ないという状況に陥っており。ここでもまた悲しみである。


無事、生活していけるのだろうか...(汗)。応援してください。



  1. スーパーの生鮮食品コーナーのど真ん中に突如レストランが登場、食事をする人々



文字通り、ロッテマートにて買い出し中に遭遇、(心の中で)爆笑...


あれはなぜ?どうしてなの?新鮮だから?なんかいろいろ騒がしいし、買い物の途中なので、落ち着かないような気がするけど... 誰か教えて欲しい。




  1. ソウル、もしかして坂が多過ぎ...?


観光に来ていただけでは知らなかった... 前出のロッテマートへ買い出しに行く際、ビビったよ。なんか小山を越えて行かないと、辿り着けないんだけど?!


いや確かに季節は秋で、紅葉が綺麗だけども... (違う)。果てしなく足りていない日用品・食料品を買って、背中にはパンパンのリュックサック、両肩にもかばん、そして子を連れて帰宅した際、どんな登山かと思った。思ってた駐在妻の生活と、全然違うけど... 大丈夫そう?タクシー乗れよと言われそうだけど、なんか最初だし、節約したかったっていうか、苦労したかったっていうか。挙句、両親には、「戦後の買い出し部隊か(笑)」とか言われるし。


どうやらソウルは、京都のような盆地だそうである。京都で学生生活を送った私は盆地の恐ろしさをよく知っている。ますます、これから迫り来る冬と夏が怖い... !



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  1. 少しは疑ってくれよ、アジアは広いんだよ☆事件発生中



過去に中国で、思いっきり中国人(しかも上海出身らしい)に間違えられて、ひたすら中国語で接客された経験も何度かありますが、それと同じ、おおらかで、こちらが日本人だと疑ってかからない感じを経験している。


近所のコンビニの角で、突然おばぁちゃんに「韓国人?!」と話しかけられたり(この辺りはフランス人が多いもんね...)、または八百屋さんのレジで、「え、あんた韓国人じゃないの?」と言われたり。こちとら、『すいません、今何と仰いましたか?よく分かりません』という顔をしているつもりなのだが、まだまだ修行が足りないのだろうか。「え、ごめん、何??w」くらい開き直った方がいいのだろうか。しかも相変わらず言われることはなぜか分かるという語学レベルなので、どうしようもない。


夫とソウルで再会した記念(?)に、家族で近所を徘徊した後、イタリアンレストランへ入ってみたのだけど、そこでも店員さんは、明らかにアジア人の私を選んで、韓国語で「すみません、今日ピザのオーダーができなくて」と言うではないか。ぽかーん、という顔をしていると、店員さんは「すみません、今日ピザの"注文"をしていただけなくて」と明らかに別の単語に言い換えて、またも教えてくれるという... でも問題、そこじゃないから!!(でもなぜかなんとなく分かるんだよなー)という出来事が...


年齢のせいか、全然単語が覚えられませんが、今後、無事生活してくのに必要なレベルに辿り着けるのか。応援してください。


そしてピザの代わりに食べたパスタですが、一人なんと 25000 ウォンもしたことを追記しておこう。泣いた...



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正直、この年になってまたもどこか別の国で暮らすことになるとは想像もしていなかったけど(しかもアジア圏!)、ずっと韓国コンテンツのファンだったわけで、願ってもないチャンスというか、漢江越えたら推しも住んでるし... いつかコンサートにも行きたいわけで。きっといろいろ大変なことも起こるだろうけど、前向きに、楽しく、家族で健康に過ごしたいと思っている。


時間だけはあるので、これから定期的にこのブログも再開させたい。次回は、少し真面目に私と朝鮮半島との繋がりみたいなものについて、書いてみたいと思う。朝鮮半島との繋がりだなんて... 時事サイトで目にする言葉みたいですが、あいにく私に韓国の血が流れているというのではないので、期待せずにお待ちください(だったら今頃もっと高身長で、おフランスでも苦労しなかったわけで...)


あ、またも悲しみが...。

 
 
 
  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 16 juin 2022
  • 3 min de lecture

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今朝、子が血液検査をしなければならなかったので、毎週水曜日は学童の日だけれど、少し遅れて行くことにして、近所のラボへ連れて行った。おフランスなので、毎週水曜日は学童の日だ。おフランスなので、前もって「この日は遅刻させます」と紙まで書かされた。おフランスなので。


ラボで散々待たされた後、子は勇敢にも 1 ミリも泣かず、狼狽えず、なんなら最後は注射針を凝視する様子まで見せて、無事に検査は終了。飴までもらって嬉しそうだ。


9 時半までに学童に連れて行く約束になっていたけど、ラボを出たのが 9 時半だったので、一応電話を入れておこうと思う。返信で来たメールの署名に書いてあった番号へかけると、職員が出る。「すみません!◯◯のママですが、今終わったので、少し遅れそうです。今向かっています!」と言うと、「分かりました、着いたらインターフォンを押して呼んでくださいね」と言われた。そうだよね、朝の受付時間が終わったら、ちゃんと鍵閉めるよね。防犯上、素晴らしいな、と思って足早に向かった。


9 時 40 分、学童に到着。言われた通り、インターフォンを押して、再度状況を説明する。


「今行きます」と言われて、見慣れた顔の職員の人がやって来た。真っ赤なペロペロキャンディーを食べてる子とは、ここでしばしお別れ。また夕方迎えに来るからねぇと思っていると、ふと目についたのは、現れた職員の人が片手に持っていた、食べかけのリンゴだった。


「◯◯、おはよう〜!」「キャンディー、もらったの!」「え、じゃああとでわたしにも分けてね」と、仲のいい会話が聞こえてくる。片手には、食べかけのリンゴ。


なんてことのない光景だけれど、日本の保育園では決して目にすることがなかったので、二人が去ると、心の中で爆笑してしまった。日本のサービスは、保育園に限らずどこも素晴らしいけれど、過度のサービスは逆に恐縮してしまうというか、『そんな、そこまで...』と思うし、『この人、今夜、すごく疲れてしまうんじゃないかな...』とか要らないことまで考えてしまう。少しだけ、申し訳なくて、居心地が悪いのだ。


ましてや、食べかけのおやつを手に持ったまま出てくるなんてこと、日本ではありえないだろう。先生が食事中の瞬間にたまたま立ち会って、先生が手で口を隠しながらこちらへ来て、迎えてくれるということならあったけど、食べかけのものを持ってきたまま対応してもらうということは初めてだったので、一瞬の、自然な光景だったけど、こういう対応の方が、至極人間らしいというか、気が張ってなくて、他者にも寛容というか、いいな、と思った。食べかけの、真っ赤なリンゴに立腹するような人間にはなりたくない。


あくまでリンゴは他者への寛容の象徴である。8 時から子どもを一斉に迎えて、きっと 9 時半過ぎには、一息つける頃なんだろう。そのリンゴなのだろう。お腹が減ったからちょっと食べる、もしかしたらあれは、彼女の朝食だったのかもしれない... いずれにせよ、ふらっとリンゴを手に持ったまま出てこられる、気楽な空気がいいな、と、真夏が近づく気温の中、しみじみ思った帰り道だった。

 
 
 
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    Mari Okazaki
  • 1 févr. 2022
  • 5 min de lecture

ふと、このツイートを目にして、この言葉を知った。



《一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである》

 三浦綾子「続・氷点」より



毎年、無残にも増えていく年齢のせいなのか、いや、子を産んだあたりからなのか、私は薄々気づいていた。『これで人生でしなければならないことは、大体したのではないか...』。何というか、妊娠・出産があまりにも巨大イベント過ぎて、燃え尽きた。燃えかすだった。単純に、制作やアウトプットに思うように時間を取っていない、自分が悪いだけかもしれない。けれど、目の前で泣き、成長していく赤ん坊は、間違いなく新しい、次世代だった。「はい、これで自分の人生は終わり、これからは裏方(母)に徹して。自分の時間は終わり〜」と言われているような気さえした。誰もそんなことは言っていないのに。



想像していた以上に子育てが壮絶で、子は 3 才近くなるまで夜にまとめて寝ることはなかったし、これが俗に言う、育てにくい子なのかどうかは、分からない。あくまで、彼の個性だと思うし。自分の体力の無さ、そしてもしや、時間の使い方が下手なのだろうか、今の時代のスピードでは次々に生み出されて消費され、消えていく... 日々の様々な物事、ニュース、トレンドを感じ、吸収し、勉強する暇もなく、あっという間にこの 3 年半が過ぎていったような気がする。人生の中で、ここだけ少し情報量が少ないというか、外の社会から少し遮断されている感じ。まぁ、子育て「世代」と言うしなぁ。



友人のアーティストを見渡してみれば、みんな個展をやったり、グループ展をやったり、熱心に作り、売ったり、制作・プレゼンテーションに余念がない。私はいつになったら、したいしたいといっている個展をするのだろう。そして一体、いつになったらその個展とやらで発表する作品たちを作るのだろう。どうやって時間を捻出するのだろう。少しでも寝たいし、片付けなければ家の中はどんどんカオスと化すし、誰も書だけでは食べていないし、働かなければ生きていけない。仕事も好きだ。



私は焦っていた。自分は何も生み出していないのではないかと。



そんなに難しく考えなくても、もっと気楽な気持ちで普段から作り、発表する場を持てばいいのかもしれない。いつか『ここだ!』と感じるギャラリーに出会えるだろうとか、「個展」という言葉の重みに緊張するのではなくて、もっと「はい、そろそろ溜まってきたので皆さんどうぞ見てください」ぐらいの気楽な気持ちで開けばいいのかもしれない。本気になれば、パリには一週間単位で借りられる 5 ㎡のギャラリーだってあるのに。



そんな自分にイライラしながら、時間だけは容赦ないのでどんどん過ぎ去っていく。そして目の前の子もどんどん育っていく。これは「生」で「エネルギー」だ。自分に足りないもの。人間は、ルーティーンだけをこなせばなんとか生きていけるけど、それでは「カラー」がない。「感情」がない。



という感じで、ここ数年、時々だけど、鬱憤とした気持ちを感じながら過ごしていた。もちろん、私も夫も絶対に子どもが欲しかったので、子を授かった喜びは素晴らしく、2018 年の 6 月 8 日は人生で最も素晴らしい一日だったし、子のことが好きで好きでたまらない。むちゃくちゃ可愛い。いると大変だけど、いないと寂しいので、平日の日中は 20 分間、写真やらビデオを眺めている。


なのに、どこかで何となく、「子どもを産んだらあなたは終わり、はい、選手交代。時代のターンオーバー」という聞こえない声が聞こえてくる。「自分のことばかり考えて、お前は最低の母親だ」とも言われているような気がする。単に脳がそう思いたがっているだけかもしれない。正解は分からない。女性は子を産むマシーンではないのに、実際には様々な制約を乗り越えなければ妊娠も出産もありえないから、自然は酷である。



こういうことを時折思っていたら、先の言葉に出会った。私の焦りは、自分が集めたいものへの焦り、自分への欲だ。どれだけ集め、作り、発表し、時に辛辣な目にも遭い、批評も甘んじて受け入れ、糧にしようとも、"一生を終えてのちに残るのは、与えたもの" だけ...



この言葉に癒され、安心もした。そうか、「与える」ことなら得意だ。私は教えることも好きだし、自分が与えられる・シェアできるものがあれば、どんどん循環したい。そうか、「集める」だけでなく、「与える」ことで次の世代へ自分の肉を、血を残していけるのか。深いところで納得がいった。



思い返せば、子につける名前を考えていた頃。フランス語でも発音できて、日本語でも自然なもの、R や H は除いて... など、いろいろな制約がある中、夫が見つけた、子の名前。


もともとは、ヘブライ語で「神が赦すもの・神が感謝するもの」という意味がある、かわいい子の名前。私の父のリクエストもあって、夫の苗字の後に日本の名字も付けたので、バランス的に、ファーストネームを日本語でも発音しやすい、フランスのものにしないといけなくなった。その時思ったのだ。いつか私がいなくなって、子の子、またその子の顔立ちに日本の、アジアのかけらが微塵も感じられなくなっても、「オカザキ」という、フランスではいかにも日本的な子音溢れる名前が残っていれば、誰かがきっと、「昔、日本から来たちょっとクレイジーな女の人がいてね、その人がひいおばあちゃんなんだって....」。そんな風に、いつか遠い誰かが、私のことを思い出してくれたら... 嬉しいなと思ったのだ。私という存在、肉体が消えても、言葉は消えない。名前として残ってくれる。そんな願いを込めた。これも、「与える」のひとつなのではないか。




《一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである》



いい言葉は書きたい。書いて残したい。これはきちんと作品にしなければ。



与えろ。集めるのではなく。この言葉のおかげで、これからは少し、肩の力を抜いて生きていけるかもしれない。


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